ほんとうの自分とは
快楽にはどん欲に。 でもそれより、あらゆる「苦」から解放されて自由なのがいいと思いません? 我とは何ぞや。ほんとうの自分が何かわかれば、もうどこにも「苦」がなくなる。 だって、もともとの自分ははじめから「苦」も何も感じてないから。 宗教いらずでハッピーw笑
快楽にはどん欲に。 でもそれより、あらゆる「苦」から解放されて自由なのがいいと思いません? 我とは何ぞや。ほんとうの自分が何かわかれば、もうどこにも「苦」がなくなる。 だって、もともとの自分ははじめから「苦」も何も感じてないから。 宗教いらずでハッピーw笑
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そこで、やむにやまれず、変則的に心身統一法の会得と、その会得に関連する理解を与えることを最初にして、それから「我とは何ぞや」という重大な問題の決定を行っているわけなんです。
けど、どこまでいっても、これは変則的なんです。厳格にいえば、「我とは何ぞや」がほんとうにわかってからでないと、人間の生命にからまる幽玄微妙の消息というものは、聞かされてもハハァーンと、ある程度まではわかった気分になりますが、ほんとうの自覚にはいたらない。わかった、というだけではいけないのであります。中村天風師「成功の実現」から
人間は心も体も生きるための道具。いちばん尊いのは霊魂というひとつの気体。これがあなた方の正体なの。
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もともと体が気をしょって出てきたんじゃなく、気が生きるために体というものをこしらえ、心というものをこしらえたんだ。これをもっと真理のうえから言うと、霊魂というひとつの能動的な気体が、肉体という物質的な表現を一方においてつくると同時に、一方において思想や精神生命が、肉体を本位として心理作用を働かせるために、脳髄というものを設備したんだ。「成功の実現」から
いかなる時代が来ようとも、この気であるものは、要するにエレクトロンとプロトンだ。エレクトロンとプロトンというものは永久にこの世からなく無くならない。これが人間の正体だ。これを、宗教では「霊魂」と言っている。だから、便宜上、その名前をそのまま自分だと思っていればいい。霊魂という見えざるひとつの気体、これが自分なんだ。「成功の実現」から
この宇宙をつくった造物主を、よろしいか、インドのほうでは宇宙霊という名前で、神なんて言ってません。仏とも言ってません。
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インドじゃあ、仏教がうまれたから、さぞ仏教の信者が多かろうと思うけれども、違うんであります。インドでいちばん盛んなのはインド教──ヒンズー教てやつ、それは、いま世界的な哲学になってるヨガ哲学から支店に出されたような分派ですがね、そのほうじゃ宇宙霊といってる。この名前、おもしろいですよ、宇宙霊って名前はね。
名前がわかったら、その次が大事な問題だ。大事な問題は何だというとね、この宇宙霊、いわゆる普通の人が言う神、仏、我々の言う大自然の造物主というものは、よろしいか、人間の心に従って、きわめて微妙に応酬するものなんであります。「盛大な人生」から
神というものは非科学的な人々が考えてるような、形のあるものでもなきゃ、また人格的なものでもないですね。宇宙のいっさいをつくった不思議な力を形容するために、いわゆる尊敬と驚嘆の念慮から、人間がつくった言葉だもんね。神なり仏なりがあらわれて、俺は神だよ、俺は仏だよと言ったんじゃないんだ。何だかわけがわからないけど、どうも不思議といよりか言葉のないような、この宇宙のあらゆるすべての事物、事象に対して、「ああ、とても我々ではできないわ」という驚嘆と尊敬の念慮から、神、仏と名づけたんだねえ、つまり、詮索していきゃ、宇宙の根本主体なんだ。
これをもっと純粋科学の立場でいえば、いっさいのエネルギーを生み出す、しかも感覚することのできないもの。それだけにややこしいんですよ。いっさいの、よろしいか、エネルギーを生みだす。何でも、電気の力でも、磁気の力でも、風の力でも、水の力でも、あらゆるすべてのエネルギーを生みだす元なんだ。元なんだけど、感覚することができないもんですから、こういう話を聞いても何だかわけのわからないように感じちまうんだな。
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つまり、適切に言うと、断然わからない気体なんです。「盛大な人生」から
もし神だ仏だということをいいたかったならば、この微粒子という不思議なものをつくった目に見えない力が、神だ仏だといえば間違いないけれども、そうなれば微粒子そのものが、人間の発明した顕微鏡では見ることのできない微少なものなんですから、いわんや、それを創った、まあ仮に神・仏と名付けるものがあるとしたなら、それはもう全然かたちのないものと思わねばなりませんね。一つのエネルギー要素だと思うよりしょうがない。
その力を人間が尊敬するつもりで形容するとしたら、神といっても仏といっても、ゴッドあるいはアラーといってもよかろう。しかし、ここで考えなくてはならないことは、それの正しい考え方は、仮に神・仏と考えたならば、それと同時に、そのエネルギーを感謝し尊敬することに努めなければいけないのであります。
宇宙全体を支配している驚くべき力に、ただ感激し、尊敬すればいいのです。「しるべ」2012年4月号から
人間が人間としてこの世に出てくる前に、人間となるべき要素が必ずやあったに違いない「成功の実現」から
然らばそも「真我」とは何か?
静かにそして深く考査を掘り下げて思量して見よう。
およそ人間の生命の中には、心及び肉体よりも一段超越した、然も厳として存在する実在のものが一つある筈である。
それがすなわち「真我」なのである。
そおそもこの実在のものというのは、それがかくの如きものであると、形象やや色彩で示現する事の出来ないものなので、ただ人々のいわゆる信念的自覚念で思量するより以外に知るよしもないというものなのである。
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「われ」なるものの本体たる実在のものを、わが意識の中に完全に把握思量し得る信念的自覚念というものは、心を霊的境地という特別の境地に置かぬ限りは決して発動せしめる事が出来ないものなのである。中村天風師「研心抄」から
自分というものの正体は、形ある肉体でもなければ、観念で考えられる心でもなく、ぜんぜん見えない霊魂だと、こう考えるのが一番いい。
もっとも、それは「考えろ」と無理にはいいませんけれども、「考えなさい、そのほうが得だ」と私は言いたいな。中村天風師「心に成功の炎を」から
人間の生命エネルギーの中枢の母がつくる一番大根大本は、科学的に考えてもいけない。哲学的に考えてもいけない。あるものはあるものだから、あるものはあるとして考えられる考え方が一番いいんだ。
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「あるものはある」これは、科学でもなければ、哲学でもない。「あるものはある」
それを理屈なしに考えるのが、考え方としては本当の考え方じゃないか。それを私は、科学的に考えたのでもなければ、哲学的に考えたのでもない。中村天風師「しるべ」2016年7月号から
それが段々わかってくるようになるんですよ。自分の命のほんとうの主催権をもっているのは肉体じゃなかった。心でもなかった。見えない気体が自分の命の主催権をもってるということがわかる。この気体を日本語では霊魂といってます。英語では、スピリットといいます。これがほんとうにフウゥとわかるようになる。ちょうど夜明けがだんだん明るくなるように、自然と心のなかにこの気持ちがはっきり自分でキャッチすることができるようになります。
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実際これは、考えてくれなければいけないことなんですよ。生命は、命を生かしてる根本要素である霊魂が主催権をもっているんだ。
この真理をあなた方が悟れれば、悟ると同時にそれは確固たる信念になります。「成功の実現」から
事実において人生苦というものの九割九分は、よろしいか、入念に分析してみると、心を己の生命の生きるための道具として使わないで、反対にそれに使われているがためであるんですよ。生命に対する支配権を心が持つものと誤解しているからなんだ。「真人生の創造」から
だから、もしも考えられたら、そういう考え方にしてごらん、今日から。肉体は我が命の生きるための道具と。頭が痛かろうが、けつが痛かろうが、脈が速かろうが、それは自分がそうなってんじゃない、と。自分の命を入れる入れ物に故障ができたんだけど、この故障は、ありがたいかな、自然に心がそれから離れさえすれば治るようにできてるんだってことを、ありがたく感謝しなきゃだめだぜ。これだよ、一番肝心なことは。
着物が破れたら、人間はそのほころびを繕わなきゃならない。屋根が漏りゃ、屋根屋を呼んできて、そこをふさがなきゃならない。
ところが、人間のほうは、ありがたいかな、自分が何にもしなくても、そこから心が離れさえすりゃいいんだよ。なぜというと、離れると消極的な観念がなくなっちまうだろ。消極的観念がなくなると、肉体のもってる自然作用がその場所をもとの健全な状態にするために働きだすようにできてんだよ。これを普通の人は気がつかねえんだ。昔からいってるじゃねえか。病は忘れることによって治る。「心に成功の炎を」から
目に見える現象の世界は、目に見えない一つの大きなエネルギーがこれをつくったんだと。そのエネルギー、それが実在だ。
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この気というものはなんの気であろうと不滅不朽、なくならないもの。つまり哲学的に言えば、絶対に完全なもの。
そこでだ、この絶対に完全な霊魂という気はどんな場合にも不完全なものや不完全のことを感じるはずないんですから。だから、今自分の心の中に感じてる、思っている消極的な気持ちは、これは本当の自分が考えてるんじゃないと、こういうふうに否定しちまえばいいんだよ。
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どこまでも人間のこの生命の背後には純一無雑な、一切のものを完全に造り上げようとする宇宙霊、いわゆるブリルという実在があるんだという真理を考えると、そう考えただけで、その考え方を間違いなく続けていけば、たとえ一時的に心の中に闇をつくる消極的な気持ちがふーっと出ても、ちょうど時間の短い停電と同様、たちまち光の輝く積極的な思考がそれに代わる。輝き出すと言おうか、そうなるようにできてる。「真人生の創造」から
もっともっと意義の尊い、進化向上という宇宙本来の目的を助成するために、この世に男であり女であり生まれてきたんだ、お互いにね。贅沢しに来たんでもなきゃ、うまいもの食いに来たんでもなきゃ、名を売るために来たんでもなきゃ、金儲けしに来たんだもなく、いわんやまして病み患いをするために来たんでもなけりゃ、心配や煩悶をするために来たんじゃねえじゃねえか。
進化(Evolution)と向上(Elevation)という尊いことを実行するために、男も女も万物の霊長として犬や猫に優った働きを体にも心にも与えられて出てきたんだ。「真人生の創造」から
「空」とは、無ということではない。「無」は、何もない=Nothingである。
「空」とは、何もないのではなく、厳密にいえば、「空」とは意識感覚の線上に現出しない「有」なのである。
いずれにしても、こうした永久不滅の絶対的の実在物である「空」なるものから、一切の万物万象が作為されているのであるが、ここで特に深甚なる注意を厳かに促さねばならぬことがある。
それは、そもそも何であるかというに、かくのごとき尊厳な事実と過程によって作為された万物万象のすべては、いずれも一切独自的に存在するものは一つとしてなく、厳密に相互に協調して、その存在を確保しあっているという、犯すべからざる現実があるということである。
わかりやすくいえば、もちつもたれつ、互いに助け合って調和を図りながら存在しているということなのである。
そして、この調和が完全である間は、その物象の存在は安定しているのである。
それから、もう一つ忘れてならないことは、その調和が、何かの原因で破れると、それをそのままにしておかないという無限の親切さが、この「空」なるものによって常住行われるという事柄である。「叡智のひびき」から
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