もうひとりの自分
我執を落とし、執着を解脱していくと、自分がもうひとりの自分と「ふたり連れ」だとわかります。 感情のコントロールに際しても、この意識が重要。 ハイヤーセルフとエゴを分離して役割を整理すれば、感情のばらまきはエゴの仕業だとわかります。
我執を落とし、執着を解脱していくと、自分がもうひとりの自分と「ふたり連れ」だとわかります。 感情のコントロールに際しても、この意識が重要。 ハイヤーセルフとエゴを分離して役割を整理すれば、感情のばらまきはエゴの仕業だとわかります。
Contents
不安や恐怖を強く感じている人は、
それらを感じている自分から逃げようとしないで、
じっくりと、
こころを感じる練習から始めましょう。
不安や恐怖を感じている“こころを眺めている自分”に気づいてください。
すると、
不安や恐怖自体は、
自分ではないことを理解するでしょう。
不安や恐怖感は、
こころが創り出したものなのです。
本当の自分は、
それらを眺めているところに存在します。みさきよしの「今、ここにしかいないんだよ。」から
本当の自分には心配も恐怖も何もないのです
たとえば今までは腹が減ったとか、手足が痛むとか、
発熱したとかというような感覚的のことは勿論、
或は怒り悲しみ恨み嫉みというような感情情念が発生した場合、
概ね多くはそれを直ちに自己の体が痛むとか私は腹が立つとかと考えていたのを、
今後はそれを自己の生命の附属用具である心がそう感じるので、
則ち自己(真我)にはそう云う事態が発生しているのではなく
**
心がそれを感じるのであると、
丁度第三者の動静を看るようにすべての心的作用や心理現象を思量する
という意識観念を習慣づける
**
こうした意識観念を確立して自己を統御すると、
正確に心理に順応する完全統御を頗る行い易くなるのである。
**
本能心や理性心から発生する心的作用や心理現象を、
矢庭にそれを自己本体の意念のように速断して、
徒らにこれに捉われて苦悩して居たという軽卒からどんなに自己を救い得るか分からぬからである。
実際多くの人々は真我の家屋や着物ともいうべき生命用具である心や肉体に余りにも捉われ過ぎている。
そしてその不必要なものにもなお纏綿と執着をもって、
人生苦を我から物好きにも増大している
**
(そこで、一日のうちで適当な時間を選んで心を鎮める習慣をつけていくと)
人に依って早い遅いの相違はあるが、
やがて暫時にして心の複雑な活動が止む時が来る、その時である。
心の活動が止んでもそこに一つ厳として自己存在の意識だけが残留して居る事を自覚されるに違いない。
判り易くいえば「われ在り」という意識だけは絶対に消滅しない。
そしてこの意識を例え朧気にでも自覚し得れば、
自己(真我)というものは、
心よりも又肉体よりも超越して居る一実在であるという意識観念が自然と確立され、
諸君は悟入自覚という精神的進歩の第一階級にその第一歩を踏み入れた事となる。
そしてこの意識観念確立の程度に伴って
益々自己(真我)の正確な自覚感に鮮明の度を加えて来る事になる
**
(この過程には相当の努力が必要となるが)
その時決して無理に心の錯綜混乱を抑制しようと焦慮してはならない。
即ちしばらくは心の成り行きに任せて悠々乎として心の秩序なき活動力の止むのを俟つに若かずである。
時には奔馬ただならずというような始末におえない程乱脈な状態で複雑多端に活動するかも知れない。
然したとえ心が如何に騒ごうとも些かもこれに懸念することなく寧ろ平然たるべしである。
そうすれば遂には心それ自身力尽きておのずから静止するに至る時が来るものなのである。
無論最初の間は相当の時間を要するかも知れないが、
然し漸次実行の回数を重ねるにしたがい、
遂には随時随処自由自在に心を鎮める事が容易に出来るようになる。
そしてこの実行を長期に亘って繰り返して実修していると、
いつかは真我の本体もハッキリと認識し得るようになる。
そうなるともうしめたもの
**
進んで宇宙の大本体と真我との関係が分り、
同時に生命の力(Vril)と心との相関々係も明瞭に諒解し、
結局真我と宇宙の絶対とは果然合同し得る崇高なものだという
人生哲理の真諦を確実に把握し得るに至る中村天風師「研心抄」より
自分の体が痛いとか、かゆいとか、不愉快だとか、
あるいは腹が立つとか、悲しいとか、恐ろしいとかいう感覚や感情、
そのどれでをも、
今後はだよ、
たとえば腹がへった感じであろうと、
あるいは痛みであろうと、
怒りや悲しみや憎しみというような一切の感情を、
ちょうど自分以外の人が感じているように、
客観的に考えるようにしろっていうんだよ。
まだわからない?
もっと噛んで含めるように言おうね。
自分の腹が痛いのを、
隣のおばさんの腹が痛いように感じなさいっていうんだよ。
鳩が豆鉄砲くらったような顔して私の顔見てるが、
よく考えなさい。
ここが難しい哲学なんだから。
感覚とか感情とかいうものは、実は実在意識がそう感じるからそう思うのですよ。
いいかい。霊魂という気体には、
そういう事実は少しも感じてないんだよ。
痛い、かゆいというのは実在意識が、
神経を通じて実在意識にそれを感じせしめているから感じるだけで、
感じなければ思わないんだから。
**
さあ、この人間の心理現象のなかに存在するデリケートな消息を考えると、
いま私が言ったように、
すべてを客観的に考えるという特定意識を習慣づけなさい。
言葉が難しい?
何でもいいから、
自分のことを第三者の立場に立って考えるように習慣づけなさいっていうんだよ。
すると、
心の統御上、
まったく格段の相違ができてくる。
私がこうやってあなた方に話をしているときに、
「ああ、天風が今ここで一生懸命こういうことをしゃべってるわ」
と、
もう一人の自分が脇で見てる気持ちでおしゃべりしてるんですぜ。
こういう心がけを実行すると、
自分の生命の道具である心や肉体と、
ほんとうの自分とを混ぜこぜにしなくなるんです。
いつも截然としてほんとうの自分をぴたりと守って、
心を積極的に完全に生きられるようになれるんだよ。
実際ですよ、
こうした特定意識で人生に生きてこそ、
いつも頼もしい積極的な人生に生きられるんです。
そしてほんとうの幸福なものになれるんです。中村天風師「成功の実現」より
かえすがえすも践行の効を見るに急なる勿れである。
要は忍耐と不撓の努力とで丹念に繰り返される正しい瞑想を行ずるにある。
そうすればいつかは諸君の感応を通じてその意識に手答えある震動は与えられ、
やがて来るべき自然の会得を拓く鍵を把握し得るは必然である。
従って所詮は一意践行の功を積む事に依って
諸君の霊魂(真我)から諸君の一段高い心境への至妙の囁きを待つ事のみである中村天風師「研心抄」から
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