ポジティブからニュートラルへ

ネガティブよりポジティブ、否定より肯定のほうがいいに決まってますけど、じゃあニュートラルってどんな心持ち? ──倒産寸前の苦痛から津留晃一さんを救ったのは中村天風師の教えでした。より高い心のステージを目指すあなたに、知っといてほしいことがあります。


津留晃一さんを救った天風哲学

実は社長時代、
倒産寸前の苦しみの中で私の心を救ってくれたのが
中村天風さんの本でした。
精神的苦痛の極限にあった私が、
初めて手にした精神世界の本だったわけです。
津留晃一「浄化の旅」より

津留さんのメッセージは、
どれも学びが深く、
しかも言葉が平易でわかりやすいので、
このサイトでもしばしば引用してます。
いまからもう8年くらいまえですが、
「浄化の旅」っていう津留さんの本を英光舎さんから取り寄せて、
最初に上記の箇所を読んだとき、
>へっ?
>ああ‥‥そうだったの‥‥
>知らんかったなぁ‥‥

って驚いたのと同時に、
>あ、やっぱりか。
>だから‥‥か、
>なるほど、そうなんだな。


腑に落ちた。
津留晃一さんと中村天風師は、
こんなふうにつながっていたわけなんですね。
だから道理で、
津留さんの言うことには天風教義と矛盾するところがない。
一部上場目前の倒産という苦痛が大きかったぶんだけ、
よほど深く学ばれ、消化され、
実践的に吸収されていったのでしょう。
同じことを、別の角度から、
ちがう言い方で伝えてくれてるんだなとわかる。
何冊かある津留さんの本の中で、
この「浄化の旅」を読むのがいちばんあとまわしになってたんですが、
本との出会いもまた、
やはり偶然ではないんだとわかる。
タネあかしを最後にしてもらった感じでした。

どちらでもいい状態

たとえば津留さんがたびたび使う言葉に
ニュートラル

あります。
「どちらでもいい状態」。
これは、ニュートラル(中立)ということです。
ニュートラルというのは、
我々が目指しているゴールなんですね。
すべての価値観が消えること、
それがゴールなのです。
「津留さんが、心から伝えたかったこと。」から


ていうふうに。
津留さんが「ゴール」っていうくらいだから、
よほど大切な意味があるんだなって思いますよね。
わたしも近年わたしなりの解釈で、
このニュートラルっていう心の状態を
常に意識しているわけなんですが、
クリアにわかりやすい概念として津留さんから受けたインパクトが大きい。
儒教や仏教のほうでは
中庸・中道

ていう概念があって、
そっちは詳しく知らないのですが、
きっと似たようなことじゃないかと勝手に思ってます。
いっぽう──
天風哲学のほうの教えに
絶対積極

いうのがあります。
わが社ではこれを社是にさせていただいている。
>何事に対しても虚心平気の状態ですよ。

いってしまえば簡単そうですが、
ところが実はこの言葉の意味するところは、
なかなか理解しづらい。
そこで今回は、
津留さんのいうニュートラルをヒントにしながら、
絶対積極の意味を考えていくことにします。
(ё_ё)

絶対と相対

真の積極心とは何か?
──大事なとこですよ。
絶対積極っていうのがあるくらいなら、
もちろん相対積極っていう心の状態もまたあるってことになります。
この絶対積極相対積極のちがいが、
言葉や理屈の上からだけではなしに、
心持ちとして実感でつかめて、
意識の上で使い分けができるとなると──
これは‥‥きっと‥‥
ものすごくいい(*^_^*)
です。
あなたの心の強靱化が、
すごくいい感じで進むことになるでしょう。
 要するに、真の積極心というのは、事あるも事なき時も、常にその心が泰然不動の状態であるのをいうので、しかも、そうした心的状態というものは、断然拮抗ということから超越していない限りは、とうてい現実化しえないのである。
 かるがゆえに、心が心の前に顕現せし事柄と相対峙して克ちえている状態、いいかえるとその事柄に脅かされず負けていない状態を積極心だと思惟しているとすれば、それは強いていえば、相対的積極というので、われらのいう真の積極ではないのである。
 要約すれば、何事があろうが‥‥詳しくいえば、病難に襲われようと、運命難に陥ろうと、心がこれを相手とせず、またかかわり合いをつけず、いいかえると勝とうともせずまた負けようとも思わず超然として晏如たることをえて、初めて天風哲学の理想とする積極心=平安を確保しえた心的状態=絶対的の強さをもつ心となり得るのである。中村天風師「叡智のひびき」より

む、む‥‥
さすがにこれは文語調でむずかしいですかね(x_x;)
同じ内容を、
もうちょい簡単な話し言葉で──
 だいたい多くの人は、積極という言葉の意味を、消極に相対したものと考えているんです。英語で言うと、ポジティヴとネガティヴ、プラスとマイナスというふうに、消極に対しての積極というふうに思ってる。
   ***
 私が教える積極精神というのは、消極というものに相対した積極でなくして、絶対的な積極のことなんです。
 どう違うかというと、相対的積極の意味は、たとえば肉体でいうと、外界からのいろんな刺激がくる、痛いとか暑いとか寒いとかいったような刺激を受ける。あるいは、怒ったり、悲しんだり、恐れたり、あなた方がしょっちゅうやってるね、いわゆるエモーション、消極的な感情です。そういうものが心の中に起こる。それに対して、これをこらえようとか、これに負けまいとする気持ち、これは相対的積極なんです。
 これは日常、対人関係でもあるでしょ。「あいつだけには負けたくない」とかよく言ってるね。日常の仕事、勉強をする場合だって、あるいは、スポーツなんかでも、勝負ごとなんかでも、なんとかして勝ってやろう、負けまいと思ってやる。
 これもいわゆる積極的な気持ちなんだけれども、これは相手あってのことでしょ。相手が人間でなくても、なにかの対象に対して、心に張りあう気持ち、対抗する気持ちがあるからだろ。だから、これは相対的な積極なんだよ。
 これに対して、絶対積極とは、どういう気持ちかというと、これは張りあおうとか、対抗しようとかする気持ちがそこに全然ないんです。
   ***
 心がその対象なり相手というものに、けっしてとらわれていない状態、これが絶対的な気持ちというんだよ。何ものにもとらわれてない、心に雑念とか妄念とか、あるいは感情的ないろいろの恐れとか、そういったものが一切ない状態。けっして張りあおうとか、対抗しようとか、打ち負かそうとか、負けまいといったような、そういう気持ちでない、もう一段高いところにある気持ち、境地、これが絶対的な積極なんですぜ。
中村天風師「心に成功の炎を」より

──わかりますかね(ё_ё)?
長い引用になりましたけど、
こういう価値の高い心のテーマに関してはやはり、
なるべく変に第三者のバイアスのかからない、
原典に近い解説に触れていただくのがいちばんだと思います。
>おまえの言ってることはようわからん!
って方、
本を買いましょう。
「叡智のひびき」(講談社)の箴言一「天風教義の積極心というのは」

「心に成功の炎を」(日本経営合理化協会出版局)の第二章「絶対積極」
に、
上の文章があります。
まさか一冊まるごと引用できませんから、
もとの意味がギリギリ伝わる程度に抜粋いたしました。
億千万の財宝よりも価値のある知恵が、
たった1万円ほどで買えるんですから、
ぜひ手元に置いて、
全文精読してみられてはいかがでしょうか。
絶対積極の意味がわかるだけじゃなしに、
じゃあどうやったらそんなふうに生きられるか、
その方法まで書いてあるんですから。

ポジティブは方便

──本の宣伝はこのくらいにしときまして、
さてここに、
ポジティブネガティブっていう、
みなさんよくごぞんじの言葉が出てきてますね。
ネガティブに相対するポジティブっていう姿勢。
あっちがああならこっちはこうだ
っていうのが相対的っていうことの意味。
押してくる力に対して押し返そうとする力
じゃなくて‥‥
そうであってもどうであっても
これはこのまんまでこれですよっていうのが絶対的
津留さんはそこのあたりの
二極化して対立しがちな力から自由になるヒント
を、
ニュートラル
っていう概念で
端的に教えてくれている気がする。
わかりますかね?
うしろ向きよりまえ向き‥‥なんじゃないんじゃない?
‥‥っていう感じ。
うしろもまえもなく、
ただここにいますけど‥‥っていうのでいいんじゃない?
‥‥てこと。
否定はだめだから肯定しましょ‥‥っていうんじゃ、
絶対的じゃないんじゃないかなっていうこと。
ややこしいんですけどね、
そんなに簡単なことだったらだれもメンタルな病気になんてならないでしょうしね。
ここではっきりしときたいのは、
絶対積極っていうのは心の鍛錬度合からすると、
かなり高いステージに来てるってことを意味しています。
そんな人、
まぁほとんど見かけません。
ゴールとはいわないまでも、
億単位のお金をころがすだけならおつりがくるほどの強さです。
なんだかんだいいながら、
わたしたちのほぼ全員がそこへ向かう旅の途中なんだと思います。
ふつうはポジティブでじゅうぶん。
ネガティブもだめだしポジティブもだめっていうんじゃない。
すでにじゅうぶんポジティブなあなた
が、
そのまた上位ランクのスーパーポジティブを目指すぞっていうとき
に、
なんでもかんでもポジティブ一辺倒で押すんじゃなし
に、
ニュートラルっていう心のポジショニング

知っておかれると、
魂の成長がぐいぐい加速しますよっていうこと‥‥
なんです。
いずれにしても、人生建設の先決要諦である健全精神の完成は、その基本条件である精神状態を絶対積極の状態に到達させることである。そしてその到達過程の方便手段として、相対積極からまず到入すべきである中村天風師「真理のひびき」より

──さあ、
またむずかしそうな漢字がいっぱい並んでますが、
これ、どういうことか。
絶対積極に到達するには、
なかなか遠い道のりがありますよ。
いっぺんにわかったりしませんよ。
だからはじめのうちは、
相対積極でいいですよ。
ポジティブ野郎でいいんです。
あくまで発展途上のステップとして。
うしろ向きよりまえ向きのほうがいいき決まってます。
た、だ、し、
方便としてですね。
でもやっぱりほんとうはね、
良いも悪いもない、
勝ちも負けもない、
正しいもまちがいも、ない。
本当に心が積極的になっちまうと、もうそれを否定する必要はないんだよ。否定するもしないもないんです。心が絶対になっちゃってる。そうだろう。
   ***
修養の中途においては、執着、煩悶、病難、運命難を人にありえぬもの、あっちゃいけないもの、あらしめべからざるものとして、否定するための方便として積極心を養わせている。しかし、本当に心が積極的になったら、消極的なものはないんだ。
   ***
すべての人生の出来事も、自分の心にさわらせなかったら心は切れない。絶対的というのは、エイッエイッと押し返す力じゃないんだよ。
中村天風師「盛大な人生」から

二極化した価値観にとらわれない、
ニュートラルな境地にたどりつきたい。
そこがゴール──
津留さんの残してくれた数々のメッセージには、
そういうロマンを感じるんですよね(≡^∇^≡)