マインドフルネス──「いま、ここ」ってどこ?
いそがしい人は要注意。 「入ってきている」か、それとも「入りこんでいる」か。 マインドフルネスは、すべてが入ってきている状態。気づいていること。 時間の概念から自由になり、思考からも解放され、取越苦労ゼロ。 「いま、ここ」はすべてがall rightです。
いそがしい人は要注意。 「入ってきている」か、それとも「入りこんでいる」か。 マインドフルネスは、すべてが入ってきている状態。気づいていること。 時間の概念から自由になり、思考からも解放され、取越苦労ゼロ。 「いま、ここ」はすべてがall rightです。
わたしは、「時間は幻です」と言って、哲学的な理論を表明しているわけではありません。とても素朴な事実を、みなさんに気づいてもらいたいだけなんです。この事実は、あたりまえすぎて、逆にわかりにくかったり、意味がないことのように、聞こえるかもしれません。しかし、この事実を、ひとたび完全にのみこめたら、思考が織りなす問題を、一刀両断してしまえるのです。もう一度言います。「いま、この瞬間」だけが、わたしたちに与えられた「すべて」です。わたしたちの人生が「いま、この瞬間」でなかった時など、絶対にありませんでした。これは事実ではありませんか?エックハルト・トール「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」から
くれぐれも誤解しちゃいけないことは、有意注意と執着をごっちゃまぜにしちゃだめよ。軽率に考えると、ちょいと似てるから。
有意注意力というのは、心のすべてが心の前にあらわれた事柄や問題に、その力に強し弱しの区別なく同じ強さで、ちょうどサーチライトが暗やみのなかのものを照らすときに、こっちだけ強く、こっちだけ弱くというのではなく同一の光度で照らし出すのと同じ状態なんだ。
執着というのは、心の前に生ずることや物に心がとらわれちゃって、その心を他の方面に円滑にふり向けることができない。たとえば、病をもっていると病にばっかり首っ引き、借金のある奴は借金にばかり首っ引き。欲のあるやつは欲を何とかして果たすことに首っ引き、というふうにぜんぜん違ってるでしょう。中村天風師「成功の実現」より
大抵の人が、精神統一ということは、心の前に現れた事物現象なり、または仕事などに、他意なく一心不乱に注がれる状態をいうのだと考えているようだが、それは大変な間違いなので、それは精神統一の枢要条件である集中ではなく、傾注であり、執着であり、極言すれば凝滞であり、放心なのである。
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【心】→【事物】=傾注、執着
【心】←【事物】=集中、統一
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即ち精神統一とは、心を心の対応するものに捉わしめるのではなく、心にそれを完全に捕捉することなのである。中村天風師「真人生の探究」より