好かれる人間になりなさい

あるがままの自分を見失っているとしたら、他人に好かれる努力はやめたほうがいい。 自分の魅力に自信がないなら、むやみに好かれようとしてはいけない。 好かれようとがんばるほど、ますます自分に自信を失う結果が来るから。 自分の原型に忠実に、結果として好かれる道を選ぶこと。


好かれる人間になりなさい
──このアドバイスには何の問題もないように思えますね。
あたりまえすぎて、
なかなか反論しにくい。
でもわたしはあえて疑う。
あなたはもしかしたら、
他人から好かれようとして生きてはいけない人かもしれないよ。
好かれるために

優先して生きてきたために、
ほんとうの自分

見失ってしまった可能性はないか。
強く疑う。
あなた自身も検証してみてほしい。
自分本来の汚さにフタをして、
どこかでウソをついていないか。
そんなんなしに
みんなから愛されてる(^o^)
としたら、
とってもけっこう。
結果としてそうなることはもちろん大切。
でもそれを、
直接的に追いかけることには落とし穴がある
ってことに気づいてほしい。
かなり大切な原則をいつも思い出してほしいんですが、
あなたの「好かれたい」という切実な願望の裏側に、
「あるがままの自分では好かれない」という恐れが巣くってはいないか?
失恋だって、
一発でトラウマになる危険性はあるのだし。
恋人いない歴が3年を超えてくると、
焦らないほうがおかしい。
モテるためにあれこれ悩むのがあたりまえだ。
そのとき、
自分ではない何者か

演じ始めることになる。
成長するってそういうことじゃないの?
と、
勘ちがいしたりする。
いや、それも一種の成長なんだが、
あるがままの自分を否定する方向へ進んだとき、
ほんとうの自分
にとって
寂しい人生が始まることになる。
多かれ少なかれ、
こういった分裂は誰にでも起こります。
しかも無意識に起こる。
しかし半分くらいの人は、
たいした補正──他人から見える人格上の修正──なしに、
他人から好かれるという現実

手に入れることができるので、
コトの重要性に気づくことなく大人になっていきます。
そして多くの場合、
もうひとりの自分だのほんとうの自分だのさとりだの、
そんなややこしいことと無関係に死んでいきます。
それはそれでおめでたいこと。
好かれよう好かれようと努力しても、
むしろ努力すればするほど、
むなしく嫌われて、
避けられたりいじめられたりして傷ついてきたあなたは、
むしろ幸運だったかもしれない。
本来あるがままの自分とは別の何者かを演じる、
その努力を放棄するチャンスに恵まれたからです。
どうせ何をやっても好かれないなら、
いっそ地の自分のまま生きてやる

と、
開き直れたとしたらそれがしあわせ。
ブサイクなあなたを祝福しよう。
そこそこまわりに好かれたおかげで
いつでもほどほどにしあわせだった人たちよりも、
よっぽどしあわせだ。
誰からも好かれなかったほんとうの自分を、
少なくとも、
あなた自身は愛してあげてください。
寂しかったと思うんだ。
注目されることもなく、
もしかしたらフタされて隠蔽されて置いてきぼり。
でももしあなたが、
ちゃんと向きあって受け入れてあげて、
自分の復元

成し遂げられたなら、
きっとその日から魅力的な人として生きられる。
あるがままに生きるというのは、
誰にでもできることではないのですよ。
ずっとうまくいっているように見える人ほど、
人生のどこかのステップで、
ほんとうの自分ではない誰かの仮面をかぶってしまっている。
仮面どころか、
社会的地位のある人なんて、
全身鎧(よろい)で覆われている人もいる。
>あんた、ほんまはどんな人ですの?
って尋ねても、
質問の意味すら通じない。
そんなんで「社会的に立派な人」ってことになっても、
どうもウソくさいじゃないか。
あなたが好かれようとするとき、
まわりの人に喜んでもらおうとするとき、
社会のために役に立とうとするとき、
根っこにある動機を必ずチェックしてほしい。
嫌われるのが怖いから‥‥?
いまの地位を失うのが怖いから‥‥?
自分が何者でもなくなってしまうのが怖いから‥‥?

そんなふうな恐れがちょっとでも見つかったなら一旦停止だ。
恐れを大きくしてしまわないために立ち止まってほしい。
(みなもと)に還る
──そんな意識に切り替えてほしい。
もうひとりの自分としっかり二人三脚、
置いてきぼりにしてないならいいんだ。
好かれるように、好かれるために、
まわりの人が喜ぶように振る舞っていい。
でも、
ほんとうの自分を忘れてきちゃったあなたは、
まわりに振りまわされないことのほうが大切なんです。
自分中心に生きてください!
──っていうか、
自分を大切にしてください。
けっきょくのところ、
自分を愛せない人は他人も愛せないっていうでしょ。
結果として好かれたらそれでいいんだし、
自分を愛せる人は他人からも愛されるようになっている。
あるがままに生きるあなたを攻撃する人があらわれたとしたら、
その人自身があるがままに生きることを知らない気の毒な人だ。
──というわけでわたしは、
ある人に対しては、
>まわりに喜ばれることをやりましょう!
と言っておきながら、
別の人に対しては、
>まわりのことより自分を大切にしなさい!

バラバラで矛盾したようなアドバイスをすることになります。
なのでこれを、
いつものようにパラドキシカルにまとめますと──
人に好かれたい人は人に好かれようとしてはならない
‥‥っていうオチになるのです。