経営者の責任

『労使見解』の最初のページに、 「経営者である以上、 いかに環境がきびしくとも、 時代の変化に対応して、 経営を維持し発展させる責任があります」と書かれています。 中小企業家同友会の存立基盤ともいえる『労使見解』の中でも、もっとも重要なキーセンテンスです。


経営者である以上、
いかに環境がきびしくとも、
時代の変化に対応して、
経営を維持し発展させる責任があります。
「労使見解」より

はい、
この文章、
問答無用で暗記してください。
>なんやそんなもん、
>あったたりまえのことやないか。

って、
かる~く通りすぎてしまいそうな方もおられるかもしれませんけどね、
いやいや‥‥
それがなかなかどうして、
噛めば噛むほど味が出る、
スルメのような一文なんです。
労使見解の最初のページに載っている文章なんですけど、
この労使見解っていうものが、
中小企業家同友会でいかに大切にされているかはすでに述べました。
というか、
数多ある経営者の寄り集まりの中で、
中小企業家同友会が中小企業家同友会たる所以は、
労使見解だと言っても過言ではありません。
中小企業家同友会存立の礎(いしずえ)ともなっている
歴史的な名文なのです。
実際、
>「労使見解」こそが自分の経営バイブルだ。

言い切っておられる経営者が、
わたしのまわりに何人もいてます。
中小企業家同友会で経営を学ぶ仲間にとって、
労使見解はそれほど大事な大事な大事なものなんですね。
その大事な大事な大事な労使見解の中でも、
ことさらに大事なのが、
8つあるチャプターのうちの第1章「経営者の責任」であります。
どれだけ大事かっていうが伝わりましたでしょうか?
「労使見解」第1章「経営者の責任」こそが、
われわれ経営者の square one
拠って立つべきところの一丁目一番地。
中小企業家同友会の古い会員さんなら、
「労使見解」のページのそこらじゅうに
赤ペンやら青ペンやら黄色のマーカーやらで傍線やら枠囲みやらを引きたくり、
文字が読めなくなるくらい書き込みだらけになっていることが珍しくありません。
そのくらい大事な大事な大事な「労使見解」の中の、
大事な大事な「経営者の責任」の章の中で、
これまた最上級に大事とされているのが、
冒頭で紹介した「経営者である以上‥‥」の文章なんですね。
あまりに大事なので、
くりかえしコピペっときましょう。
経営者である以上、
いかに環境がきびしくとも、
時代の変化に対応して、
経営を維持し発展させる責任があります。

はい、
もう1回 (//・ω・//)
経営者である以上、
いかに環境がきびしくとも、
時代の変化に対応して、
経営を維持し発展させる責任があります。

(//・ω・//)
‥‥なんべんコピペしてもおんなじことですがね(ё_ё)
(//・ω・//)
経営の学びを、
この言葉からはじめることにしましょう。
経営者である以上、
いかに環境がきびしくとも、
時代の変化に対応して、
経営を維持し発展させる責任があります。

暗記しましたね?” “(/*^^*)/

責任

大きなキーワードであります。
生きていくことすべてにおける
最重要キーワードのひとつであります。
責任を負っているかいないか、
それが大人と子どもを分ける基準でもありましょう。
経営者なら経営の全責任を取るのはあたりまえ。
しかし、
ほんとうにそのことが信念になっている経営者が、
さて何割いるでしょう。
労使見解を学んでいる中小企業家同友会の中でさえ
100人にひとりもいないんじゃないでしょうか。
業績が悪いのは‥‥
>景気の回復が遅れているから
>社員がやる気にならないから
>得意先が倒産したから
>政治家がアホだから
>銀行が金を貸してくれないから

‥‥エトセトラ。
あのとき誰がどうで、こうで、
あそこがああなっていれば、どうで‥‥
みたいに、
頭の中がタラレバでいっぱいになってませんか。
責任は経営者たる自分にあると、
わかっていても言い訳が止まらないタイプの社長も多いです。
全責任は自分
──会社のことだけでなく、
さらに極めて、
この宇宙で起こっていることのすべての責任は自分にある
と、
そこまで腹をくくってみてください。
そうすれば、
おのれがこの現実の創造者なのだ
っていう
次の学びへのステップになるでしょう。
全責任は自分にあると頭ではわかっていても、
どうすればほんとうに責任を取っていることになるかわからない方に、
責任感強化プランのヒント。
なにかのせいにしようとする心の姿勢から出る言葉を止めること
からはじめましょうか。
代表的なのが、
>‥‥のせい
>‥‥が悪い

という言い方ですね。
見苦しいというか聞き苦しいというか、
これ、
明々白々な責任回避ですから大いに警戒しましょう。
>○○○が○○○した(言った)からだ。
型の言いまわしも要警戒。
このときの「‥‥したからだ」
「‥‥したせいだ」と同じ意味ですからね。
タラレバ言葉はすべて要注意。
>あんなことさえ起こらなきゃあ(こんなことにはならなかったのに)
は、
(こんなことになってしまったのは)あんなことが起こったせいだ。

同じ意味ですから
責任回避用語になるんですね。
まぁこんな具合に、
いくつかの言いまわしを封印するだけでも、
起こってしまったことに正面から向きあう第一歩になります。
すべては自分からです。
じゃあなんでも「自分が悪かった」
「オレのせいだ」
という態度はどうか。
というと、
これも責任を取ることととはちがいます。
昔っから「ごめんで済んだら警察はいらん」と俗に言いますが、
たとえばあなたが歩道を歩いているところにバイクが突っこんできて
大ケガをさせられたとしましょう。
>オレが悪かったんです。
>バカだったんです。
>ぜんぶオレのせいなんです。
>はい、認めます。
>ほんとうにバカでした。
>オレって最悪ですよね。

って、
相手がさんざん自分を責め立てて平謝りで泣いたとして、
あなたはどんな気分ですか?
そんなことよりちゃんと誠意もって謝罪しろよ
って思いません?
治療費はどうしてくれるんだとか、
ケガして働けないあいだの収入とか、
お金の問題も大いに気になりますよね。
こんなことからもおわかりでしょうけど、
「自分が悪い」「自分のせいだ」と自分で自分を責めることに大した意味はない。
まして「あいつが悪い」などと他人を責めるのはまったくのスジちがい。
>反省だけなら猿でもする。
って言葉もありますが、
反省と責任とは次元がちがいます。
自分も含めて、
誰も、何も悪くないという前提に立つことです。
責めない、咎めない。
誰かが、あるいは何かが「悪い」と感じるから、
責めたり咎めたりしたくなるわけですもんね。
全責任が自分にあるなら、
なにかを咎めたり否定したりする言葉は一切出てこないはず
なんです。
>あいつさえこういうことをしでかさなければ‥‥
みたいな心の姿勢が自分にあるなと気づいたら、
きっとそれが言葉に出てしまっているはずですから、
その習慣を止めることが責任感を強化することにつながります。
習癖を止める方法のツボについては、
かなり大切な原則の補足説明を参考にしていただければと。
くりかえしになりますが、
誰も、何も、悪くない。
そもそも良いも悪いもない。

この前提に立ってすべてを見直すことです。
全責任は自分が負うんですから、
目のまえで起こっている現実は、
ぜんぶ自分が起こしているという前提を受け入れること。
電信柱が高いのも、
郵便ポストが赤いのも社長の責任である。
「社長が知らないうちに起ったこと」でも
すべて社長の責任なのだ。
一倉定「一倉定の経営心得」から

‥‥ていう名言もありますでしょ。
>ほなナニか?
>地球の温暖化までワシの責任かぁ?

とか、
そういうこと言わない言わない。
目のまえのこの現実を呼び寄せたのは自分なんだ、
それどころか、
この全宇宙を創造したのは自分なんだという、
そんな心の前提が強化されればされるほど、
うれしいことばっかり起こってくるようになります。
日々の人生が喜びだらけになる。
だから、
もういちど言います。
なにかのせいにしようとする心の姿勢から出る言葉を止めること
からはじめましょう。
それを経営習慣にしてください。
ちなみに、
さっき引用した一倉定さんの名言には実は元歌があるそうな。
古典落語に出てくる都々逸のひとつに
>空があんなに青いのも、
>電信柱が高いのも、
>郵便ポストが赤いのも、
>みんなあたしが悪いのよ。

っていうのがあるんだそうな。
さすが都々逸、
あつかましいくらい悲観的です。
こんなこと言ってる人に、
>誰も何も悪くないんだよ
って教えてあげても通じないんでしょうね。
あなたもわたしもときどきこんなふうになってないかどうか、
気をつけましょう。