労使見解

中小企業家同友会に入会すると、 企業経営の基本精神として「人間尊重の経営」を学びます。 社員は、単なる労働力ではなく、もっとも頼りがいのあるパートナーと位置づけられるのです。 そんな人間尊重経営の原点となっているのが、1975年に発表された「労使見解」です。

中小企業家同友会には
経営指針作成の手引きと並んでもうひとつ、
大切にされている小冊子があります。
「中小企業における労使関係の見解」(通称「労使見解」

収録した
「人を生かす経営」。
「経営指針作成の手引き」よりも、
さらに薄く、そして安い。
300円w(゚o゚)w
しかしその中味は、
非常に深く、重いです。
「労使見解」(ロウシケンカイ)
は、
その薄っぺらい「人を生かす経営」の中の、
わずか9ページにも満たない短い文章なのですが、
中小企業家同友会ではこれがまるでクルアーンのように、
とても、とても、大切にされております。
たしかに、
読めば読むほど味わい深い。
中小企業経営者の汗と汗と汗と汗‥‥
──どんだけ汗くさいねんε=( ̄。 ̄;)──
が、
しみこんでいて、
折々の情景が目に浮かびます。
汗くさい = 人間くさい
ですね。
労使見解が発表されたのは1975年。
高度経済成長が終わりを告げ、
労使関係のあり方も本質的に転換しようとしていた時期です。
時代の背景をもう少し詳しく知るために、
第二次世界大戦までさかのぼってみましょう。
1945年 = 敗戦
焼け野原と化した日本にマッカーサーがやってきて、
あいつは追放、こいつは処刑、あれは解体、これは排除、
問答無用の統制下で国家がリメイクされていきます。
あらゆる状況が想像を絶する共感不能な領域であり、
そこに生きて体験した者でなければわからない雰囲気だったんでしょうね。
1947年 = 全日本中小工業協議会(全中協)結成
この「全中協」というのが現在の中小企業家同友会の前身ともいえるものらしいのですが、
その活動は、大企業に偏った経済政策を是正し、
中小企業の存立と発展、社会的地位の向上を求めることを目的でした。
国による「中小企業庁」の設置が翌48年であることからもわかるように、
この時点ではまだわが国に体系だった中小企業政策は存在しなかったわけです。
1957年 = 日本中小企業家同友会創立
この日本中小企業家同友会が後に東京中小企業家同友会となり、
そこから大阪、愛知、福岡、神奈川‥‥と、
各地に中小企業家同友会が広がっていくわけなんですが、
このちょっとまえ、
1956年に日本中小企業政治連盟(中政連)という組織が設立されます。
この連盟は、
同業組合を組織して過当競争を制限しようとする考え方の下、
中小企業団体を商工組合にまとめ、
国の力で統制的に指導することを定めた法律の制定運動を強力に推し進めていました。
全日本中小工業協議会(全中協)からも多くのメンバーが中政連に合流したとか。
しかしこの運動に対し、
「上からの命令や法律で中小企業の自主性を押さえ、官僚統制に道をひらく」ものとして
反対する立場の中小企業経営者が立ち上げたのが
日本中小企業家同友会
なのです。
根っこがそういう経緯ですから、
官僚統制を嫌う
っていう気骨が中小企業家同友会の下地にあるんですね。
自主性を重んじる
というと聞こえはいいが、
要するにだいたいがわがままってことなんですよね。
素敵です(*^_^*)
>経営の勉強は自分のためにやってるんだから、
>来たくないなら来なくていいよ

と、
入会してからすぐに言われました。
上から押しつけてくるものに対しては、
とりあえず反発する習性がありましたが、
そう言ってもらえたので納得できた。
実際、
最初の1年間は幽霊会員でしたし、
5年間は経営指針もつくりませんでしたが、
同友会活動に関しては、
結果としてすべて自主的に取捨選択してやってこれました。
1969年 = 中小企業家同友会全国協議会設立
わたしは7歳です。
日本経済は高度成長(1955~1973)の真っ只中、
国じゅうがギタギタと煮えたぎっていたころですね。
そして──
1975年 = 労使見解
いっぽうで労働組合運動が活発に展開される中、
どうすれば経営者と従業員が
ほんとうに信頼しあえる関係を つくっていくことができるのか。
のっぴきならない課題が当時の経営者に突きつけられていたわけです。
中小企業家同友会に集まっている経営者は、
いったいどんな想いで経営をやっていくのか、
組織の求心力を強める意味でも、
断固とした意思表明が求められた。
労使見解は、
中小企業家同友会の存立基盤そのものとも言える声明文なのです。
人間尊重の経営
などという
厳かな言葉が使われております。
雇うほうも雇われるほうも血の気の多い、
切った張ったの時代、
ひとつまちがえば大ウソつき呼ばわりされるリスクもあります。
使用者と労働者が尊重しあうなんて
究極のきれいごと
かもしれないわけですから、
どれほどの経営者がなんべん集まってどんだけ議論したか、
それはそれは気の遠くなるようなプロセスだったろうなぁ‥‥
と当時の苦労が偲ばれます。
 当時は、労働組合の指導それ自体が、今とかなり違っていて、代表的な労働組合、例えば総評は「中小企業家といえども、資本家である。大企業の労働者も中小企業の労働者も、労働者に違いはない。大きい、小さいの差はあるけれども、実際的には一緒である。従って組合の態度というのは、総労働と総資本という関係で考える」ということを、一貫して言っておりました。
 ですから「労働関係は力関係である。だから力でもってストライキをするとか、団体交渉するとか、さまざまな力を行使しながら自分たちの要求を勝ちとるということ以外に、自分たちの生活を高めることはできないのだ。また、それをやるべきだ」というような指導が、労働組合運動の中に一貫して流れている。そうしますと、中小企業の経営者にはそれに対する反発と憎しみが当然ながら生まれてくるということで、企業の中でさまざまな混乱と感情的な対立、争議が繰り返し行われて、お互いに大変に不幸な状況が生まれていました。
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 その中で、いろいろな議論をしました。経営者側の意見の相違もありましたが、最終的に、この『労使見解』に到達したのです。「人を生かす経営」より(田山謙堂「人を生かす経営とは」/1989年8月)

そうして労使関係は
対立から協調の時代へ

移っていくのですが、
中小企業経営者の本気の取り組みが行間に滲み出ているから、
「人を生かす経営」はくりかえし精読する価値があるのでしょう。
よりよい組織をつくっていこうとするなら、
熟読を欠くべからざる1冊と思います。