かなり大切なバランス感覚

自分の中の「もうひとりの自分」、すなわち小我と大我(真我)、エゴ(自我)とハイヤーセルフ、 いつも自分と二人連れ。 実在意識と潜在意識で役割が異なり、どちらの存在もそれぞれ得手不得手があります。 このバランスに気づいていれば、心の乱れを防ぐことができます。


大事なところなんで、
くりかえします。
自分の中に
もうひとりの自分がいることに気づいておきましょう。
いちど気づいてもすぐ見失いますんで、
気づき続ける努力をしましょう。
小我大我(真我)
とか、
エゴ(自我)ハイヤーセルフ
とか、
2人の自分を分ける言い方、
呼び方はいろいろあるでしょう。
けれどとにかく、
ふだん自分で自分のことを
「ワタシってこれのことでしょ」

思いこんでいる、
その自分とはちがうところに、
もうひとりの自分がちゃんといます。
ふだん自分で自分だと思っているほうとちがうほうの自分が、
いわゆるほんとうの自分なんだと、
そう思ってしまってください。
ほんとうとかウソとか言ったって、
しょせん便宜上の分け方ですから、
どっちがウソでどっちがほんとうというわけでもないのですが、
とりあえず、
こっちがウソでふだん見えてないほうをほんとうなんだとする。
人生いつでも自分とふたりづれだってことですよ。
あなたがもし寂しがり屋さんで、
そんな自分がちょっとイヤだとしたら、
特にこの感じをわかっておいてもらいたい。
あなたという存在を、
海に浮かんだ小さなイカダに例えてお話しましょう。
イカダを動かすための道具は、
「櫂」(かい=バドル)と「帆」です。
はイカダを手で漕いで動かす。
は風を受けて動く。
あなたの中にいるふたりのあなたは、
それぞれ別の「動力」を持っていると考えてほしいのですが、
その動力の特徴を、
イカダを動かそうとするときの「櫂」「帆」にたとえると説明がしやすいんです。
はるか彼方に見えてきた小島にたどりつくために、
あなたはをどのように使い分けるでしょうか。

どちらにも一長一短ありますね。
風の向きや潮の流れが読めるなら、
あなたは額に汗してを漕がなくても、
を張っているだけで船は進みます。
しかもその速度は、
手漕ぎで出せる速度の比ではない。
しかし困ったことに、
風の向きや潮の流れなんてものは、
そう簡単に素人が読めるものじゃありませんよね。
たぶんこっちじゃないかなぁ~って予想して、
なんとなく波に揺られてたって、
島(=目的地)に近づいているという実感が湧きません。
だから自分の全身を使ってエッチラオッチラ漕いでたほうが、
実際には島に近づいていようがいまいが、
やるだけのことはやっている気がするから得心がいくってもんでして。
そっちのほうが現実的だし確実だという見方も筋が通っています。
今日では──
実在意識潜在意識
あるいは
左脳右脳
について
それぞれの機能と役割

ずいぶんと科学的に研究されて広く知られるようになってますから、
わたしたちが使えるエネルギーを大きく2つに分けることには異論がありませんね。
イカダの例えでは「帆」潜在意識にあたる
のも
おわかりですね。
まるで自動操縦ロボットのような
このすばらしい潜在意識という能力が与えられているにもかかわらず、
現実社会では近代文明人のほとんどすべて、
100人中97人以上が「櫂」のほうばかりを使って生きている‥‥
というのも
すでに知られているとおりです。
なかなか気づくことができないもんですからですね。
自我(エゴ)さんはいつもでイカダを漕ぎつづけています。
次はどうしたらいいのか?
この問題はどうすれば解決できるのか?
あ~これはダメかもしれない‥‥
いっしょうけんめい考えることに忙しいんです。
ほんとにもう毎日たいへんでイヤになる。
なんでこんなにうまくいかないことばっかりなのか。
まったくどいつもこいつも‥‥
愚痴をこぼすことにも忙しい
を張ることを思いつかないままがんばってるんです。
ときどき思いついたとしても、
やっぱり天候が読めないからうまく進めない。
たまたま無自覚にを使ってまぐれ当たりすることもありますけど、
もちろん長続きしませんね。
波に呑まれて沈没必至。
それならはじめからを張らないほうがよかったってことも多々ある。
よろしいか、
風の向きを読むのはハイヤーセルフさんの特技なんですよね。
だからどうしても、
うまくを操ろうと思うと、
もうひとりの自分に出てきてもらうしかない‥‥
ってことになります。
そりゃあ人生をとにかく楽に、
喜びに満ちて、しあわせで、なんの不安もなく生きようと思ったら、
風や潮の流れにうまくイカダを乗せて、
ちょいとを上げたり下ろしたりしながら、
自由自在に行きたいところに行けるっていうのがいちばんいい。
ただそのためには、
天候を読む能力が必須です。
宇宙とつながるってやつ。
そのためには‥‥
寺から逃げ出す俄坊主が後を絶たないくらい根気のいる
魂の修行
ってやつが求められる。
3日で身につく潜在能力の使い方‥‥なんて、
ないない。
2週間で英語がペラペラ‥‥がないのといっしょ。
だから、
手段はどっちでもいいっていうことなんですよ。
はるか彼方に見えてきた小島にたどりつくための手段は
あなた自身の自由選択
です。
あなたにはあなたの美学があるように、
他人には他人それぞれの美学がある。

それでいい。
ただね、
ほんとうの自分にいっぺんは出会っておかないと、
どうしても超えられない苦しみ、痛みがある。
生きるか死ぬかのときがくる。
だから、
もうどうしようもなくしんどくて、
生きていられないくらい凄まじく辛いときが、
まださいわいにもあなたには来ていないとしてもね、
知っておくってことはとても大切なことなんです。
選択肢があることを知っていて選ばないということと、
はじめっから知らないということでは意味がぜんぜんちがいますよね。
極論すれば、
ほんとうの自分が見つかったからといって、
いつもそっちの自分で生きていかなきゃならないってことでもない。
泥くさいところが好きなんだっていうことなら、
死ぬまでドロドロでいい
んですから。
さとりなんて開けなくっても大金持ちになれます。
欲望を満たすために目標を立て、
それを努力して達成感を味わうことの連続は幸せなもの。
欲望のエネルギーだけで成功できるっていうのも確かな事実。
どこまでも自己中心主義を楽しみましょう。
逆に、
さとりを開いた人がみんな、
弥勒菩薩みたいな生き方をしなきゃならないってことでもない。
欲は欲として器用に自覚的に使い分けたらいい。
お金儲けもおしゃれも酒もセックスも好きなだけやったらいいし、
ロックも聴いてていい。
とにかく便利な道具だから‥‥
みたいな軽い気持ちではなかなか身につきませんが、
とにかく行けるところまで行ってみるっていうのでどうでしょう?
いくつかの関門がありますけど、
それぞれにちゃんと素敵なご褒美が用意してありますから。
人を見る目も養われます。
途中で引き返しても誰にも叱られませんしね。
宗教だとお金がかかるかもしれませんけど、
わたしは宗教のことはさっぱりわかりませんから、
お気楽にさとってみてはいかがでしょうね。
b(⌒o⌒)d
さあ、とにかく‥‥
あなたがふたり(。・・。)
もうひとりのあなたが起きてるか寝てるか、
どっか出かけちゃったかはさておき、
あなたはふたり(。・・。)
ここのところをほんの瞬間でも実体感して、
人生いつでも自分とふたりづれって感じがわかってくると、
いろんな謎がスルスルスル~ッと解けて、
いままでしんどかったことがズ~ンと楽になるし、
腹が立ったり落胆したりというような感情のウロチョロがめっきり減って、
まぁなんと形容したらいいのか、
なにをしても気持ちよくスーイスイ、
なにもしなくても気持ちよくてニコニコ‥‥
というような
極楽太平な気分に浸れます。
だからほんとうは、
修行といっても苦しいと決まったもんじゃなく、
それを上まわる心の喜びや肉体の快感が常にあるので、
引き返したいなんて思うはずはないのですが、
心の修行が不十分なうちは、
そこ、よく忘れるんです。
自分とふたりづれなのをコロッと忘れる。
ほんとうなんです。
さっきまでいたつれあいの自分が、
ふと振り向くともういない。
自分の相棒が消えたのに気づかないまま3年すぎた‥‥なんて、
ブラックジョークにもなりませんが、
ほんとうにそんなことになってしまうんです。
特に、
身体が健康で経済的にも恵まれて、
どこからどうみても順風満帆に見えるときほど忘れがち。
うまくいっているときほど忘れがち。
実はいつのまにかエゴに振りまわされているだけの状態に陥っていたのに、
それを「好きなように生きている」「うまくいっている」と勘違いしてしまう。
自らの意志の統括を越えて出しゃばってくる自我さんの動きに
くれぐれも注意してください。
自覚があるならOKですよ。
どうも今日のオレは感度が鈍ってる。
いまから心を整えようにもすでに酔っぱらっているし、
おまけに隣にこんなべっぴんのねえちゃんが座ってる。
もうこのへんで切り上げて家に帰ろうにも、
どうにもこうにも歯止めが効かない‥‥

っていうような情けないケースでも、
自我さんに心が占領されている自覚があるならいい。
それだけで希望はつながります。
全力で自分とふたりづれなのを忘れないようにすると、
どっち向いて進むか、どこまで進むか、
すべて自由なんで、
自分の中の2人でお互いによく話しあってくださいましね。
自我さんの欲望だけに従って生きていくのも大いにけっこう。
‥‥っていうかそれが圧倒的大多数で普通ですから、
ぜんぜんいいんですよ。
商売だって、
自我さんの欲望だけで10年でも20年でも乗り切れます。
で漕ぐだけで大成功できる。
いいじゃないですか。
ただね、それにしたってね、
もうひとりの自分にいっぺんも出会わずに、
ただ儲かってるっていうだけだったらちょっと寂しい。
だから、
とにかくバランスがかなり大切なんだと
わたしはここで申しあげたいわけなんです。
あっちの自分とこっちの自分のバランス。
あっちの道具とこっちの道具のバランス‥‥
ですね。
そのバランスを、
うまく取れないとしても、
最低でも自覚しておきたいんだ、
自覚さえあれば希望はつながるんだとしつこく言いたい。
悲しすぎるのは、
自覚なく自我(エゴ)の言いなりに振りまわされたまま生きること。
他人じゃないですよ。
自分に自分が振りまわされるんですからね、
裁判したって勝てっこありません。
(。・_・。)_・。)_・。)_・。)_・。)
わたし、ヤバかったです。
気づかせていただいて、
ほんとうにほんとうにありがたいんです。
自分のバランスが自覚できるようになると、
他人のことが透き通るみたいによく見えてきます。
因果応報もよく見える。
自分の選んだほうとちがうやり方で生きている人に対して、
とやかく口出しする気持ちなんかぜんぜんなくなります。
否定することほど、
エネルギーの無駄づかいはない
んですからね。
>気楽でしあわせな人生ですよ。

本人がおっしゃってるとしても、
そうではないなとわかることがあります。
それは単に、
自我さんのこじつけだとわかる。
他人との比較では勝てないとわかった自我さんが、
比較を放棄して逃げただけ。
だとしたら残念です。
ただ単にケセラセラを気取っている自我さん。
いろんなものから逃げ出して、
目的も見つけられずにさまよっているだけの自我さん‥‥。
スピリチュアル系な方々の中には、
>風の向くまま気の向くまま、
>これが最高の生き方だーっ!

みたいな目覚め方をして感激される方がよくいらっしゃいます。
それもOKです。
やがていつか、
島にたどりつけるかもしれないし、
たどりつけないかもしれない。
どこにもたどりつけなくてもいい。
イカダに乗って航海を続けること自体が人生だもの。
どこかにたどりつこうとすることのほうがおかしな執着なんじゃないですか
‥‥なんて、
まぁそんな感じで(*^_^*)
あなたは海に浮かんだ小さなイカダ‥‥。
2人乗りのイカダに2つの道具。
他の誰かを
たくさんしあわせにしてあげましょう。
「ありがとう」をたくさん言われる、
そんな人生でありますように。