問題は急いで解決しようとしない

問題を解決することに執着して悪あがきすると、 問題が解決しないばかりではなく、ますます心が混乱します。 愛に従えば愛が強まり、不安に従えば不安が強まる。 これは例外のない心の法則だからです。急いで問題を解決しようとするまえに想念観察を。


問題を解決したいなら、問題を解決しようとしないこと
?(ё_ё)?
なんじゃそりゃ?
え~、これもまた、
パラドキシカルな対処法のひとつです。
たとえば、
信頼していた部下が辞めたいと言い出したとか、
息子が学校でクラスメートを殴ってしまったとか、
材料メーカーが倒産して生産ラインがストップしそうだとか、
愛人がハンコ持って消えてしまったとか、

‥‥なんでもよろしいです。
そんなとき
あなたの頭の中(思考)は
>うわっ、えらいこっちゃ!
>どないしょう。
>早く手を打たんとたいへんや。
>けどいったい、
>どうしたらええんやろ?


満杯になりますね。
不安に駆られたあなたは、
頭を抱えてしばらく途方に暮れたあと、
どこかに電話をかけたり誰かに会いに行ったり、
ともかく慌てて行動を起こす可能性が高いでしょう。
判断が正しいとかまちがっているとかに関係なく、
じっとしていることができません。
ここであなたが行動を起こす
動機
は、
99%が不安や恐れ
ですから、
かなり大切な原則に従って、
結果として不安や恐れを増大させることになります。
運良く問題が解決すれば、
不安はなくなったように見えますが、
弱い心はそのまま置き去り、
根本はうやむやです。
そこらへんの順序について、
天風先生がうまく話されておられますね。
 だからね、それを考えようとするときに、こうするんだ。何かの出来事なり事情で、万が一意気が阻喪したとか、あるいはまた、ばかに元気がなくなっちゃったというようなことを感じたとき、たとえば、自分が将来やりたいことを人に相談したら蹴られたり、また自分の思ったことが思うようにできなかったときなんかには、普通の人間だったらだれでも、失望や落胆があるね、そういうときに、今までと違った思い方をすることが秘訣の第一だな。
 その秘訣とは何だというと、一番先にその出来事なり事情を解決する手段や方法を考えないことなんだよ。どうだい?
 あなた方はたいてい、何とかして自分の現在の失望、落胆したことを取り戻そうと、その出来事なり事情を解決するほうへ手段をめぐらすことが先決問題だと思うだろう。それが間違いなんだよ。
 一番必要なことは、もしもこの出来事に対して意気を消沈し、意気地をなくなしてしまえば、自分の人生は、ちょうど流れの中に漂う藁くずのような人生となって、人間の生命の内部光明が消えてしまうということをしんから思わなきゃいけないんだ。
 失望や落胆をしている気持ちのほうを顧みようとしないで、失望、落胆をさせられた出来事や事情を解決しようとするほうを先にするから、いつでも物になりゃしない。
 つまり順序の誤りがあるからだめなんだ。いいかい、ここのところをしっかり心得ておくんだよ。
 天風哲学は厳かにこう教える。およそ人生の一切の事件は、ほとんどそのすべてが自己の心の力で解決される。心の力こそは生命の内部光明である。この光明こそは、いかなる場合があっても、不滅不断の常世のともしびとして、我が命の中に輝かしていかなきゃならないのが、人間として自己に対する責任であるということを忘れちゃいけない。
中村天風師「心に成功の炎を」より

問題を抱えている人にね、
>問題を解決しようとするのはおやめなさい。
なんて言うとね、
きっと叱られますよね。
>ひとごとだと思ってバカにしないでよ!
>ほっといたらたいへんなことになるじゃないの!

‥‥みたいに叱られる。
ふ~ん、そうですか。
そんなふうに言われますとね、
わたしにはまるで、
たいへんなことになってほしいような言い方に聞こえるんです。
いや実際、
あなたが「たいへんなことになる」と思っているなら、
きっとそうなりますよ。
どうせなら
「ほっといてもたいへんなことにならない」
っていう想いのほうを現実化させるほうがいいじゃないですか。
自我には現象化そのものの力はありません。
現象化の力は宇宙(大いなる我)に所属しています。
ちょっと考えてみて下さい。
当たり前に出来る事に「しよう、しよう」という思いを働かせることはありません。
「深呼吸しよう」と思った時の感覚と
「壁の向こうを透視しよう」と思った時の感覚の違いに気付いてみて下さい。
  **
「しよう、しよう」と頑張ろうとするのは
「出来ないかもしれない」と疑っているに他なりません。
ですからあなたが「しよう、しよう」としている事は出来ないのです。
  **
人は苦しいから問題を解決「しよう」とします。
実は苦しいのは、
問題を解決しようとしているからなのです。
  **
究極的な観点からいえば、
あなたという小我には、問題を解決する力はありません。
どんなささいな事であれ、例外はありません。
あると思い込んでいるだけです。
では「問題を解決したい」という、
現に今ある自分の欲求にはどう対処すればいいのでしょうか。
  **
あなたの欲しい(手に入れたい)状況を明確にし(これだけが自我に出来ること)、
宇宙(大いなる私)を信頼し、
その結果は宇宙に委ねてみて下さい。
これだけが小我の最も有効な働かせ方です。
  **
欲しいものを明確にする力が小我のものです。
その事にあなたのエネルギーの全てをつぎ込んで下さい。
どのようにして結果を出すのかという想念の無駄使いを止めることです。
  **
あなたという小我はこれまで何一つ問題を解決した事はないし、
何かを達成した事もありません。
そんな事は不可能です。
何故ならその力を持っていないのですから。
小我であるあなたに出来る事は「こうありたい」という結果をイメージする事、
それだけです。
小我の観点から見た場合、
後の事はそうなるかもしれないし、ならないかもしれません。
結果は神のみぞ知るという事になります。
  **
ちょっと想像してみて下さい。
自分の思いが必ず実現することを100%信じ込んでいる人がいるとします。
その人は、
自分のイメージと異なった現象を目にした時、
それを結果だと捉えるでしょうか、
それとも結果へ向けた進行中と捉えるでしょうか。
100%信じている人の目には、
自分のイメージと異なる現象は自分の願望の進行過程にしか見えないはずです。津留晃一さんメッセージ集「問題解決」より

津留晃一さんは社長時代、
一時は300人を超える従業員を抱え、
東証一部上場目前というところまで業績を伸ばされました。
しかしバブル崩壊によって一転して苦境に陥り、
倒産寸前で精神的苦痛の極限に至ったとき、
中村天風師の教えを学ばれました。
ですから言いまわしは多少ちがっても、
お二人のおっしゃることに矛盾はありません。
問題を解決しようとするそのまえに、
やることがあるでしょってことなんです。
心の中はどうなっていますか?
それをしっかり観察しましょってこと。
心が落ちついているのなら、
問題を解決しようとすることに問題はありません。
さっさとやっつけちゃってよろしいです。
そのとき、
不安に駆られて動くのではないことを確認してください。
だれかを悲しませたくないからそうするんならいいんでしょう。
人間の行動の動機は、
つきつめれば不安か愛かのどっちかでしたね。
そのことをお忘れなく。