想念観察のすすめ

瞑想を習慣づければ、心の落ちつきを得ることはだんだん容易になります。 が、ついうっかり気を緩めると、たちまち感情に巻きこまれ、引きずられ、自己を見失う‥‥。 そこで凹む必要はありません。何度でもやり直したらいいんです。 「いま、ここ」に戻る習慣、忘れたら思い出す習慣です。

>これからどうしたらいいんだろう?
に、
意識が向きすぎていると、
>いま、この瞬間は
>どうなっているんだろうか?

を、
観察するのが疎かになります。
きっとあなたも、
しょっちゅう忘れてますよね?
自分のありよう

です。
ほんとうは腹が立っているときに、
無理して寛大なふりをしてたりとか。
ほんとうはバカにしている上司なのに、
何年も尊敬しているふりをしつづけてるとか。
本来、
自分の心の中にあるべきではない感情が、
無意識のうちに入りこんでます。
泣きたいときに笑ってたりとか。
家族の団らんを大切にしたいのに、
友だちの飲み会に行ったりしてませんか?
ほんとうは眠くてしょうがないのに、
彼氏の愚痴に深夜までつきあってませんか?
自分の立ち位置っていうか、カタチっていうか、
心のポジション
ってものを、
見失ってはいませんか?
>だってわたしはかくかくしかじかな人間だから‥‥

だれに義務づけられたわけでもないのに、
人には長年の無意識なキャラクター(人柄)ってものがあります。
「いい人」だとか「思慮深い」とか「あねご肌」だとか
「おっちょこちょい」とか‥‥
>みんながそういうからワタシってたぶんそう
みたいなのがあると思うんですけど、
知らないあいだににしばられてしまうんです。
>尽くすタイプだねって、
>いっつも言われますぅ(*^_^*)

なんてね、
いつも言われてたら
自分ってきっとそういう性格なんだってことにしてしまう。
で、
そういう性格に応じた「役」を演じてしまう。
まわりの期待に合わせることが優先されてしまって、
自分本来の感じ方を
忘れる。
いつも前向きで朗らかな人気者──
なんて、
そんな最高のキャラクターを割り当てられたとしたら、
逆に要注意。
ま、たしかに、
うしろ向きより前向きのほうがいいに決まっている感じがするもんですから、
そう言われりゃなんとかいつも前を向いていようと努力します。
そこに、
想いをコントロールしようという意思がありますよね。
下に向いているものを上に向けてやろうという類のものなんですが、
「上」やら「下」やら、
「まえ」やら「うしろ」やら‥‥
それがもうすでに二元論に冒されている‥‥
その事実になかなか気づきません。
>毎日ニコニコして生きていたら、
>周囲の環境はぐんぐん好転するんだし、
>イライラも激減するんだから損することはないでしょ?

──これ、
なんの問題もないように見えますけどね。
でも
実はあるんです。
努めて明るく笑顔を振りまき続ける‥‥
ということに
知らずしらずのうちに執着してしまっているとしたら。
ほんとうは少し腹が立ちそうになっているにもかかわらず、
ニコニコする心がけに執着していると、
自分がその怒りに気づかずに通りすぎてしまう。
一種の抑圧が無意識に実行されているんです。
まさに、
あなた自身の無意識過剰につけこんだ
巧みなマインドコントロールといえるでしょう。
自分が企てた完全犯罪です‥‥L(・o・)」
ま、それはさておき、
そうやって気づかれなかったマイナスのエネルギーは、
成仏できずに延々と内側をさまよいながら蓄積していきます。
しばし立ち止まって、
向きあってあげたほうがよろしいです。
「上」「下」もなく「まえ」「うしろ」もない‥‥
そんな、ニュートラルな、
相対的ではない、位置。
いま、ここ
っていう
絶対的な位置にしっかりとどまる意識ですね。
自分の環境はしあわせなはずなのに、
なんだかしんどいなぁ~と感じてしまう人、
見失うループにはまりこんでいる恐れがありますからお気をつけあそばせね。
人気者なんか
やめちゃったほうがいいんですよ、
たまにはね。
他人が自分に勝手に貼りつけたラベルに気づきましょう。
ゾクチェンの教え(チベット仏教に伝わる教え)

ありがたいところは、
すべてをあるがままの状態に放置しておけばいい
という基本姿勢です。
自己を観察する意識

徹することができる。
あなたはふだん
自分の内面を観察する(離れて眺める)という意識になることが、
どれくらいありますか。
たとえあったとしても、
それより強く、
思考や感情を変えるほうに気を取られているということはありませんか。
あなたはほんとうに穏やかで心が丸いのか。
それとも、
まわりから人格者だと認められたくて、
怒りっぽい自分に嫌悪感を抱いているだけなのか。
そこをよく精査しましょう。
小さなことで腹を立てるなんてみっともない
と、
自分を抑えているのかもしれませんけど、
日常の生活現場では「怒らない」という姿勢で臨むよりも、
「怒りが消える」位置に自分がとどまる意識で対処するほうが健全です。
観察がしっかりできると、
「これ!」という手応えがあって、
それは実にスカッとした快感を伴っています。
怒りや嫉妬やその他のしつこい痛みをスッと消せる感触がつかめるんです。
そしてけっきょくのところ、
いちばん大切なのは「思い出すこと」という結論に至るんです。
アタマは怠けものです。
ある状態を保とうとしてもすぐ忘れるんです。
あまりにも忘れっぽくて「保つ」どころではないのです。
だからなんせ思い出すことなんです。
忘れたらまた思い出す。
なんべんでも。
思い出すべきテーマは変わっても、
思い出すことの大切さは変わりません。
とにかくはじめのうちは、
自己を観察することを思い出すようにします。
まず感謝しましょう。
はじめに愛。
溌剌とした積極心でいっぱいにする。
それが心のセットポジションです。
ゴルフではアドレスっていいますけどね、
自分なりの姿勢や足の位置をきちんと決めないと、
ベストショットは望めない。
一日の生き方だって同じですよ。
自分が承認したわけでもない汚い感情で、
心の中が曇っていないか。
そのチェックを忘れないこと。
できれば毎朝、
起きてすぐ、
他のことをいろいろするまえに、
観察する習慣をつけるとよいですよ。
自分の内側の想念‥‥というか、
もうひとりいる自分‥‥の観察です。
瞑想がベストですけど。
心の中に感謝がいっぱいになっていることを確認してから、
次のステップへ進みましょう。
それが朝の行になります。
ゾクチェンを少しかじって、
自己解脱のプロセスを
試してみませんか?
気を散らさずにリラックスした状態を保てるかどうか、
たとえ気が散ってしまったとしても、
混乱がひどくならないうちにまた戻ってこられるかどうか、
それは訓練しだい。
思い出すことさえできれば打つ手はあります。