愛のムチは正当化できない

仕事ができない部下には「咎める想い」がわいてきます。 彼を責め、裁きたい気持ちが心に充満します。 感情のままに罵声をあびせて傷つけて、それを愛のムチだと主張しますか。 体罰も虐待も愛があれば正当化されますか。ちがいますね。「咎める想い」は心のゴミです。


部下にそっぽを向かれた日の夜は、
帰路につく足取りも重く、
やるせなく、
心にヒビが入ったみたいな感じです。
わかりますよ、
感情がぐちゃぐちゃに入り混じって息苦しい状態。
約束を守らないヤツ、無責任なヤツ、
言い訳ばっかりするヤツ、
まったくどいつもこいつも‥‥
ですよね。
日ごろあなたは、
部下に対するねぎらいを忘れず、
感謝の気持ちも人一倍。
だからよけいつらいのかもしれませんね。
厳しさが受け入れられにくい世相です。
あなたが思っているように、
逆境が人を育てる
っていう側面があるのもまた事実。
弱っちいヤツを見ると、
厳しく指導して強くしてやろう
っていう方法論が頭に浮かんでくるわけだ。
だからつい
いつもの勢いで、
ガツーンとやってしまうこともある。
人財育成の基本は愛情

心に誓ったその舌の根も乾かないうちに、
ブチッ!ブチブチッ!
出てくる言葉は、否定、否定、否定。
これじゃ何も変わってないよと自己嫌悪。
>言いすぎですよ。
と、
同僚にたしなめられて、
なおさら傷口が広がってしまいましたか。
あなたは何時まででも残業するつもりだった。
必死で遅れを取り戻そうとしてた。
でも、
部下はそんなあなたの無計画ぶりに反発した。
許せない気持ちはわかります。
でも、
あの言い方はよくなかった。
あなたは執着の深みにはまって悪循環、
カッカして頭に血が上っていた。
でも冷静になって振り返ってみればわかりますよね。
社員の言い分のほうが正しいんです。
ほんとうは何も遅れてなんかなかったってこと。
あなたが急ぎたかっただけなんです。
納期までまだかなり余裕がある。
あしたでもいいことを、
なんとなくキリのいいところまであなた個人が進めたかっただけ。
こんなときあなたはいつも、
帰宅するなり部屋に逃げこんで雑音をシャットアウト。
自分を責めたい気持ちが強烈に高まります。
でもそこは、
わたしのアドバイスどおりにやってください。
出来事の中味はこの際どうでもいいいんですよ。
あれがああだっタラとかあいつがこうしていレバとか、
いわゆるタラレバ思考は無意味です。
あなたが現在どう感じているかだけに意識を向けてください。
表面的に自分や相手を責めるんじゃなくて、
感じ尽くすことに努めてください。
感じ尽くすとは‥‥
もしいまあなたを怒りが包んでいるなら、
とりあえず怒って怒って怒り狂うこと。
誰も見てませんから遠慮なくどうぞ。
悔しいなら悔しがってください。
泣いてしまうほど。
なにがそんなに悔しいんだかわからなくてもけっこう。
何年も何年も、
ずーっと積もり積もったものがあるんでしょう。
出し切ってください。
未熟な──と自分で感じている──リーダーのみなさんへ、
津留晃一さんの本の中から
わたしの大好きな言葉を贈ります。
 「私はもう人を裁かない」。自分自身を洗脳させるために、根気よくこの言葉を繰り返し唱え続けてみてください。「また咎めてしまった」などと咎めることなく。
 <咎める想い>これだけがマイナスであることを悟ってください。
 これこそが、我々を今のこの心の位置に釘付けにしている元凶です。この想いがすべての犯人です。
 人から咎められることによってストレスを感じているとしたら、そのとき、間違いなくあなたはその人を咎めているはずです。どうぞ勇気を持ってこのことに気づいてください。
 それが簡単なことだとは言いませんが、自分を救う道はそこにしかないからです。
 この<咎めない>という真理を自分自身にだけ向け、他人を裁く道具にだけは使わないでください。
 「うまくいっていない」と感じているとき、きっとあなたは何かを咎め、批判しています。それを探してください。
 咎める心が、批判する心が、今あなたの外側に投影されているだけなのですから。
 「ああすればいいのに」という想いが湧いたら、それが批判する心です。「こうしたほうがいいのに」と思った瞬間、それは裁く心の現れだと気づいてください。
 「何でそんなことをするの」──これは正しくないというジャッジ(判断)です。
 「でも、こうしたほうがうまくいくのに」と、多分そう思われることでしょう。きっと、そんな<うまくいくこと>は無数にあるはずです。
 ですが、そんな<うまくやる>生き方から少し離れてみてほしいのです。
 「そんなことをしたら、みすみす失敗するじゃないか」と反論が起きるでしょうが、「必ずしも失敗するわけじゃない」ということを是非、身をもって体験してほしいのです。
 「良いからする、良くないからしない」。そういった習慣は、基本的に<恐れ>からつくられました。
 <恐れ>から始まったことは、すべてあまりうまくいきません。
 <良いから>とか<良くないから>といった判断から行動するのではなく、すべてを委ねて瞬間を生きてみませんか。今したいことを自分に許す生き方です。後のことなど考えずに。津留晃一「多くの人が、この本で変わった。」より

毒抜きを、
いま、
やっておきましょう。
心のデトックスですね。
抜いておかないと、
また出てしまいますから。
知らないあいだにたまってしまうのが


やっかいなとこなんです。
感じ尽くす
というプロセスを経て、
心の中がポッカリ空っぽになったら、
そこを愛で埋めていくんですよね。
罰を与える
なんていう動機は、
まったく正当化されません。
あなたの心の中に制裁は不要です。
いったんニュートラルな立ち位置に戻って、
部下たちを眺めてみてください。
まだちょっと腹立ってます?
そうですか。
では毒抜きのやり直し。
ルールによって裁かれるのはしかたがないとしても、
あなたの心の中に咎める想いは不要です。
「ほめる」「励ます」「聴く」

3つしか、
コミュニケーションの手段が自分にはないんだ

割り切ってしまってください。
他の表現方法は神さまに没収されたんだと、
ま、
そんなふうに考えてみましょう。
>いや、でも、
>躾(しつけ)はどうなるんですか。
>悪いことは悪いと注意してやらないと、
>本人はいつまでたっても気がつかないし、
>組織全体の仕事の質が少しずつ下がっていくじゃないか。

と、
すぐ反論したくなりますか?
じゃあここで、
「叱る」「ほめる」のおもしろい関係をお教えしましょう。
あなたが、
ほとんどいつも叱る上司だったとします。
部下は自分のやり方について、
叱られたときには「ダメなんだ」とわかります。
わかるけど気持ちが凹むので次ががんばれないんです。
叱られなかったときにはホッとしますが、
なにがどのくらいよかったのか、
ほんとうによかったのか確信がもてません。
逆にあなたが、
ほとんどいつもほめる上司だったとします。
部下は自分のやり方について、
ほめれたときには「よかったんだ」とわかります。
うれしいので次もがんばるでしょう。
ほめられなかったとき、それも実はわかるんです。
「あ、なんかちがうんだな」と、そこはわかる。
なにがちがったのかな、と、自分で考える。
乱暴すぎるほど簡略化して説明しましたが、
これがキモです。
あなたが愛100%になれば、
自主的な社員が育つ
メカニズムがこれなんです。
否定をやめるという方向性だけでは
どこへも進めないこともわかりますよね。
わたしたちに人を育てることなどできません。
そんな厚かましいことを考える必要もない。
できるのは、
人が育つ場をつくること。
愛は無添加100%を目指しましょう。
100%であることが肝心です。
たったいちどでも毒針が使われると、
そのマイナス波動が何年も残ってしまう。
相手もしんどいんし、
あなた自身もしんどい。
ゴキブリは1匹見かけたらそのあたりに20匹いると思え
って言いますでしょ。
否定語がひとつでも出たってことは、
心のそのあたり一面が黒く濁ってるってことですから、
きっと他にもいろいろ否定してるんです。
心の掃除っていうのは、
習慣にしてしまえばどうってことはないんですが、
はじめのうちはたいへんです。
お風呂に入るとか、
歯磨きするのと同じようなもんで、
毎日のリズムが大切です。
1週間分をまとめやって、
あとの6日はお休みっていうのはできません。
心のチリやホコリは、
少しずつたまってくるもの。
だから、
習慣をつくるっていう意思がすごく大切。
心の掃除

習慣にしてしまうしかないんですね。
「アホ」とか「ボケ」とか、
そういう汚い言葉を、
特に関西人はよく使いますがね。
わたしもそうなんですが、
なにしろボキャブラリーが吉本新喜劇なもんで。
>アホか!
っていうのはもう、
日常の慣用句みたいになっちゃってますよね。
なのでこれを言葉の暴力だとかパワハラ
なんて決めつけられると、
あしたからしゃべれない。
女の子の肩をポンとたたくだけで、
セクハラだと騒がれて変態ジジイ扱いされるよりまだキツい。
しかしまあ、
どうやらそんな時代なんです。
守られるのが当然の時代。
でも逆にね、
これをいい機会だととらえてね、
こういう心の軽犯罪から取り締まっていったらいいんですよ。
「アホ」っていう単語をNGワードにすることで、
ネガティブ傾向全般に対する意識が高まるならけっこうなことです。
わたしたち自身がやっていることですからね、
心の中を精査したらだいたいのことはわかるでしょう。
怒りや憎しみでやったことなのか、
スケベ心が湧いたのか、
幼稚ないじわるなのか愛なのか。
たいした考えもなくただ感情的に振る舞うのが習慣になっているだけなのか。
現実にはどちらかが100%なんてことはほとんどなくて、
入り混じっているんでしょうけどね。
>傷つけるつもりじゃなかったんだ。
だなんて、
虫のいい逃げ口上ですよ。
幼児虐待のニュースを思い出してください。
2歳、3歳のわが子を、
裸でベランダに放り出したり、
縛りつけたり吊り下げたりする悪魔的な親たちの言い草──
>これはしつけだ。
>殺すつもりなんかなかった。

──本人たちにとっては、
それが正真正銘の愛であり、
親の責任を果たしたまでのことなんでしょうよ。
ストーカーも同じ。
>ぼくは彼女を愛してた。
>彼女もぼくのことを愛してくれてた。
>そんなぼくたちのじゃまをするやつが許せなかった。

って、
彼氏のほうを殺しちゃったりするわけなんですが、
とにかく正義は我れにあり
そんなんといっしょじゃないって、
あなたは言い切れますか。
>従業員教育の一貫としてやっていることです。
>わが社の指導方法です。

なんて言ったって、
通らない時代になってきています。
もう何年もまえのことになりますが、
わたしが子ども(うちの息子)にゲンコツしたら、
それは絶対にダメだとこっぴどく叱られました。
暴力なんですってね、
ゲンコツも。
線引きができないんです。
それを許すとあれもこれも許さなければならなくなるっていうこと。
ゲンコツ食らったうちの子がよその子どもを殴ったとき、
オヤジのゲンコツがセーフで子どものパンチがアウトだという説明が成り立たない。
愛情から出たものであろうと、
憎しみから出たものであろうと、
文字で書いたら同じ。
>アホか!
って言うときの感情もいろいろでしょ。
好きな人に向かって言うことだってあるし嫌いなヤツにももちろん言う。
冗談で言っても本気で言っても文字に書いたら同じ。
だから現代の職場では、
「アホ」「ボケ」「バカヤロー」も、
パワハラ用語として取り締まりの対象です。
あなたがどういうつもりで言ったかは関係ない。
言われたほうがどう感じたかが問題だ。
ナイフを振りまわしているのと同じなんだと、
そう考えるようにしましょう。
体罰なんてもう論外。
一発退場です。
だからですね、
やっぱり今日の言い方はマズかったんですよ。
あした、
あやまりましょうか。
>悪かった。
>わたしが言いすぎた。

と、
たった2秒で終わります。
>いや、しかし、
>あれくらい厳しくしないと、
>甘い態度で接していては、
>ただでさえ自覚が足りないのに、
>あいつが伸びなくなるんじゃ‥‥

とかなんとか、
まだそんなふうに思うとしたら、
これはかなり低級な心の反応だとわかりますね。
厳しくするってなんですかそれ?
感情をブチまけることですか?
あなた、
ほんとうはめんどくさいだけじゃないんですか。

じゃあ最後に、
否定すること(咎める、裁く、責める‥‥)より恐ろしい、
心の凶器について述べておきましょう。
部下の心があなたから離れていったのは、
もしかしたらこれのせいかもしれません。
その恐ろしい凶器とは──
無関心
ですよね。
意図的に無視するんじゃないんです。
はじめっから関心がないのともちがう。
他のことに気を取られ、
部下の仕事ぶりや生活についての関心を
一時的に失った状態


怖いんです。
>この件はキミに任せただろ。
>わたしにはわからないよ。

とか
>いまさらそんなこと言われても困るんだよね、
>なんでそうなったか聞いてないし、
>詳しいことは知らないんだからさ。

みたいな言い方、
身に覚えがありませんか。
叱るとかほめるとかの次元ではなく、
あなたはときどき、
部下に対する関心を失っているのではないですか。
知らない、わからない、聞いてない、
と、
無自覚によく口にする上司

は、
自分の忙しさにかまけて、
部下に払うべき必要最低限の敬意を忘れているんです。
ま、
これからはそんなんも
モラハラっていう罪状

取り締まられることになります。
要するに、
どんなかたちでも他人に不快感を与えたら罪人。
罪人にされるまえに気づきましょう。
ボイスレコーダで会話を録音されたりして、
証拠固めされるまえに直しましょう。
彼、彼女が、
どんな気持ちで、
がんばってくれていたか、
いま、
思い出してあげてください。
あなたから、
どんな声をかけてほしかったか。
たった一声でいい、
どんなふうに言ってもらいたかったのか。
それをいま、ここで、
目を閉じて、
じっと。
あやまるより簡単じゃないですか。