愛のムチは正当化できない
仕事ができない部下には「咎める想い」がわいてきます。 彼を責め、裁きたい気持ちが心に充満します。 感情のままに罵声をあびせて傷つけて、それを愛のムチだと主張しますか。 体罰も虐待も愛があれば正当化されますか。ちがいますね。「咎める想い」は心のゴミです。
仕事ができない部下には「咎める想い」がわいてきます。 彼を責め、裁きたい気持ちが心に充満します。 感情のままに罵声をあびせて傷つけて、それを愛のムチだと主張しますか。 体罰も虐待も愛があれば正当化されますか。ちがいますね。「咎める想い」は心のゴミです。
「私はもう人を裁かない」。自分自身を洗脳させるために、根気よくこの言葉を繰り返し唱え続けてみてください。「また咎めてしまった」などと咎めることなく。
<咎める想い>これだけがマイナスであることを悟ってください。
これこそが、我々を今のこの心の位置に釘付けにしている元凶です。この想いがすべての犯人です。
人から咎められることによってストレスを感じているとしたら、そのとき、間違いなくあなたはその人を咎めているはずです。どうぞ勇気を持ってこのことに気づいてください。
それが簡単なことだとは言いませんが、自分を救う道はそこにしかないからです。
この<咎めない>という真理を自分自身にだけ向け、他人を裁く道具にだけは使わないでください。
「うまくいっていない」と感じているとき、きっとあなたは何かを咎め、批判しています。それを探してください。
咎める心が、批判する心が、今あなたの外側に投影されているだけなのですから。
「ああすればいいのに」という想いが湧いたら、それが批判する心です。「こうしたほうがいいのに」と思った瞬間、それは裁く心の現れだと気づいてください。
「何でそんなことをするの」──これは正しくないというジャッジ(判断)です。
「でも、こうしたほうがうまくいくのに」と、多分そう思われることでしょう。きっと、そんな<うまくいくこと>は無数にあるはずです。
ですが、そんな<うまくやる>生き方から少し離れてみてほしいのです。
「そんなことをしたら、みすみす失敗するじゃないか」と反論が起きるでしょうが、「必ずしも失敗するわけじゃない」ということを是非、身をもって体験してほしいのです。
「良いからする、良くないからしない」。そういった習慣は、基本的に<恐れ>からつくられました。
<恐れ>から始まったことは、すべてあまりうまくいきません。
<良いから>とか<良くないから>といった判断から行動するのではなく、すべてを委ねて瞬間を生きてみませんか。今したいことを自分に許す生き方です。後のことなど考えずに。津留晃一「多くの人が、この本で変わった。」より