責任は快感

「責任」と聞くと、重い、しんどい、苦労させられる、リスクがある‥‥ といったイメージが湧いてくる人が大半でしょうか。 どこでそんな想念が刷りこまれたかは置いとくとして、それはぜんぶウソです。 そんなウソにだまされて自分の責任を小さく削ってしまうのはもったいなさすぎです。


重い責任を背負うと心が軽くなる
という、
パラドックスっぽい話をしましょう。
責任と聞くと、
なんだか重っ苦しい気がして、
まわれ右して逃げ出そうとする人が
少なからずいてるでしょうね?
パトカーを見ると、
ギクッとして、
別に今日は何も悪いことしてないのに
まわれ右‥‥っていうのと似てます(?)ねぇ。
責任と聞いたらまず義務っぽいものを浮かべていませんか?
社員をしあわせにせなあかん
会社を維持発展させなあかん
利益を出さなあかん
あれせなあかん、これせなあかん‥‥
せなあかんことばっかし
‥‥ですか?
なんか、しんどそうですよね。
そこ、 ちょっと見直してみませんか?
実は、責任って、
とってもオイシイもんなんですよ
ってことに気づいていただくのが、
今回の目的です。
オレは経営者だ。
会社で起きることには全責任を取っている。

という勇ましいあなた、
じゃあ会社の外ではどうですか?
それは下請が勝手にやったことだから‥‥とか、
部下が個人的に起こした問題までは‥‥とか、
なんだかんだで、
責任を少ないほう、軽いほう、へ、もっていってません?
責任ってもんが無意識に、
罰を受けることとむすびついて、
やっかい者のように扱われているということはありませんか?
だとすると‥‥
どうなるか?
あなたはあらゆる意思決定の場面で、
ちょっとずつ責任に限定条件を加えていっていることになります。
>そりゃあ責任は取るよ。
>取るんだけれども、な、
>できれば無難に手に負える範囲で‥‥だよ。

って。
あるいは、
「自分は責任感が強い」と自認するあなたはむしろ、
無責任なことはできないという想いから、
「そこまで責任は取れない」と判断することがあるかもしれません。
これは、
「責任を避ける」とは見なされないかもしれませんが、
責任の幅を小さくしていることにはちがいないので、
この投稿を読み終わったあと、
じっくり検討していただきたい。
とにかく責任ってもんを
>なんかしんどいな
って感じでもって受けとめているとすると‥‥

あなたがリーダーをやっている組織は成長しない
‥‥という予言です。
あなたの会社は
あなたが期待するほどには大きくなりますまい

‥‥と、
この予言は当たります。
>責任‥‥?
>う~ん、なんかちょっと重い言葉やなぁ~。
>なんか‥‥いややわ。

と、
たったそれだけの想念で、
知らず知らずのうちにあなたは責任を遠ざけています
責任を取っていたとしても、
本来あなたが背負えるはずの責任よりも少ない責任
しか引き受けていないはずです。
もったいない。
責任と聞いたら、
ウキウキして興奮するくらいになってください。
それをわざわざつかみに行くくらいなものにしてほしいわけなんです。
無意識にでもです。
あなたがサラリーマンなら、
上司から否応なく責任を与えられ、
与えられた以上は一生懸命やってたら、
知らないあいだに全うして達成感を味わって、
結果的に任せてもらえてよかった‥‥
ってことがたくさんあるでしょう。
でも自分が経営者なら自分で自分の責任範囲を決めるのがあたりまえ。
責任は決して与えられるものではありません。
さ、どうでしょう。
責任と聞いたらまず自由っぽいものを浮かべほしいんです。
あれも自分で決めていい、これも自分で決められる、
すべてあなたの選択権です。
わたしは他人にあれこれ指図されるのがいやで、
いわば
自分で自分の選択権を取り戻したくて独立しました。
あなたが背負わなかった責任を、
別の人が引き受けたとしましょう。
するとその人は、
責任と同時にあるすばらしいものを持っていきます。
それは例えば、
選ぶことであり決めることです。
彼があなたに代わって意思決定する立場を選び、
そしてその資格を行使します。
あなたは彼の命令に従う立場となるでしょう。
彼は義務ではなく自由を手に入れた、

考えることはできないでしょうか。
自由裁量を手に入れたんです。
自信と勇気があれば、
これは気分いいでしょうね。
L(・o・)」
たとえば
たいして好きでもないのに、
親が結婚しろという相手といっしょになる‥‥
というのは、
その結婚の責任を親に委ねてしまうことを意味します。
それって気分いいですか?
親の猛反対を押し切って、
めちゃくちゃに惚れた相手といっしょになるっていうとき、
責任を自分で取ることになるわけですが、
そこで義務を感じますか?
L(・o・)」
いやもしかして、
これは「責任が伴わない自由」の例になってしまったかもしれないが、
とにかく、
全責任を取る覚悟さえあれば、
そこには自由という喜びがあるんだと言いたいわけなんです。
L(・o・)」
自分に自信がないときは、
ちょっと他に責任を肩代わりしてくれる人がいたりなんかすると、
ついつい甘えてしまいがちなもんです。
それはそれで学べることはたくさんありますので、
ぜんぜんかまわないんですけれども、
責任には義務がついてくると逃げ腰になって、
ちょっとずつ小さい責任を選ぶのと、
責任には自由がついてくるとわかって、
どんどん大きめの責任を選んでいくのとでは、
長い人生、
心の成長に雲泥の差がついてくるでしょう。
責任を取るのはたいへんだ。
厳しいことだ。
なんでもかんでもっていうわけにはいくもんか。
だからこそそこが経営者の宿命なんだ
‥‥みないな重い波動をですね、
格好つけて出してるリーダーは、
実際のところたいして格好いいわけじゃない。
自分のサイズより、
ひとまわりふたまわり上の責任を背負いましょう。
そのとき、
涼しい顔して背負うってとこがミソですよ。
自己責任の国
では、
責任は非常に価値の高い快感として認識されているんですから。
競って自分が背負いたがるのがあたりまえ。
「責任追及」なんて意味わからん。
>これは誰の責任だ!
なんて言ってるまえに、
>あー、この件ね、
>うん、まちがいない、
>これ、
ぜんぶわたしの責任ですワ。
>もうしわけないっ(≡^∇^≡)

てな感じで、
じゃんじゃん引き受けてしまう。
「責任転嫁」なんて言葉は存在すらしない。
せっかく自分のものになりかけた責任を、
他人に譲ってしまうなんて、
そんなもったいないことは誰もしない。
みんな自由が大好き
三度のメシより自由が好き。
きっとあなたも好き。
だから
責任を取ることで少々不自由になることがあったとしても、
それも厭わない。
必ず喜びにつながることを知っているから。
自由には責任が伴うことも知っている。
ただぼんやりと楽な人生を送りたいと思っている人はたいてい、
 責任が重い = 苦労が多い
という価値観を握りしめ、
責任から逃れる習性が身に染みてしまっています。
しんどいから、できるかぎり責任を回避する。
いちど引き受けた責任でも、
どうにかして他人に転嫁しようとする。
もしあなたがそういうタイプで、
無意識に責任から逃げたがっているとしたら、
すごく恐ろしい落とし穴がひとつあります。
それは、
たとえばあなたが自分のミスを注意されたときなどに、
とっさにウソをついてしまう
こと。
逃げなくちゃっていう本能がはたらきますからね、
反射的にウソが出てしまう恐れが大きい。
もちろんあなたはふだんウソつきじゃない。
けど、
とっさに口をついて出てしまうんですよね、
つじつまあわせのでたらめが。
そこから人生が狂いはじめた人が、
まわりにうようよいるんですよ。
本人は気づいてなくても、ね。
責任を取るのがいやだから自分の生き方を自分で決めないってことは、
つまり自分の生き方を他人に左右されるってことですが、
なんでわざわざそんな不安な道を選ぶ必要がありましょうや。
自分の生き方は自分で決める。
これを無責任にやってるのはただ自己中心的なだけですよ。
わがままとちょっと似てますから
ごっちゃにしないように注意してくださいよ。
それに実は、
「無責任な自由」のほうがよっぽどむずかしい。
敵は増えるし障害物は増えるしで、
やがてにっちもさっちもいかなくなります。
それがわかれば喜んで全責任を自分で引き受けたくなりませんか。
「汚れ役」と世間が呼ぼうがなんやろうが、
責任と名のつくものなら集めてまわるくらいの勢いです。
全責任を取る = なんでも自由に決められる
= 外部環境に影響される不安がない

これ、
キクゾウのおすすめする価値観です。