天職が見つかる

なにもなくてもすべてがある。 それが天職を探しにおけるパラドキシカルな「超」解法だ。 ぼんやり「やりたいこと」を探していると、 単に「いままでで不足していること」の『埋め合わせ』にすぎないことを、 やりたいことと勘違いしてしまう。充足から出発することの大切さを学ぼう。


なにもなくてもすべてがある‥‥
という、
奇妙な話をしよう。
これから独立して大成功していくキミに贈る、
すばらしい知恵だ。
これもまたパラドキシカルな対処法の一種で、
知っていると人生のいろんな局面で役に立つのだが、
特に、
これからキミが天職を探すうえでとても役に立つ。
この文章は20~30代の人に向けて書いてます
独立したいのに、
何の仕事をやったらいいかわからないようじゃ、
先がおぼつかないもんな。
古い話になるが、
>他人の嫌がることをやれ!
‥‥みたいな言葉が
説得力をもっていた時代があった。
これはもちろん「他人に嫌がらせをしろ」という意味ではなく、
臭いとか汚いキツいとかいう理由で、
ふつうは人が嫌がってやりたがらないような仕事を、
進んで引き受けなさいという意味だ。
>苦労は買ってでもしろ!
‥‥って言葉もある。
昭和の時代までは、
それが商売繁盛の条件みたいに教えられたりもしていた。
いまの人にそんなことを言ってもね、
シラけられるだけだろうな。
>やりたいことをやって楽しく生きましょう!
‥‥なんて言ってるほうがウケがいい。
好きなことをやって生計が立てられたら、
それに越したことはないしね。
若ければ若いほど、
わがままも大目に見てもらえる。
だからまず、
やりたいことをやろう。

そこに固執してもいい。
‥‥てなことを言ってると、
>じゃあ遊んでたい人は、
>ずっと遊んでていいんですか?

‥‥なんていう屁理屈と向きあうことになる。
ゲームが好きなキミは、
毎日ゲームセンターに通いたいわけだ。
でもそんなことをしていたら、
お金がたまるどころか、
どんどん使ういっぽうだよな。
(パチンコにも「パチプロ」という域があるように、
なんでも極めると収支が黒になることはあるにしてもね。)
──この他愛もない屁理屈にどう答えようか?
(ё_ё)
真理からすると、
きっとキミのしたいことはそんなことじゃない。
キミには他にちゃーんと欲しいものがあって、
いまのところそれが手に入らないもんだから、
それで心の穴が埋まらない。
だから遊ぶことで埋めあわせをしているだけだ。
決めつけるようで悪いけど、
いいか、
それは埋めあわせなんだ。
足りないものを別のもので穴埋めしてごまかしたいだけ
だ。
ちがうというならちがうでいい。
じゃあ、
ちがうという結論を出すまえに、
こう考えてくれないかな。
いまキミには欲しいものがある。
その欲しいものがぜんぶ手に入ったとして、
それでもしたいこと
は何かな?
自由も恋人も大金も快適な日常も、
ぜんぶ揃ったと仮定してみてくれよ。
芸能人みたいにテレビにも出て有名になって、
人気者になりたいならそれも叶ったとしよう。
尊敬されているんだぞ。
キミがもし、
忙しすぎたり疲れすぎたり傷つきすぎたりしていたら、
誰とも会わずに毎日ごろごろのんびり寝てばかりいたいと思うかもしれないが、
そんな辛いことも過去になかったと仮定してみてくれよ。
親がウザいというなら、
もう死んだことにしとこう。
とにかくいま、
完ぺきにしあわせなんだ。
ものすごく愛されている。
そういう前提で
自分はほんとうは何がしたいか
を
考えてみてくれよ。
人間、
もったいないくらい抜群にしあわせになってしまってな、
ハッピーでハッピーでどうしようもなくなると、
きっとそのしあわせな感じを、
他人にもおすそ分けしたいって気分になる。
(めちゃめちゃ好きな相手と初めてチューするときの気分が、
毎日延々と続く感じとでも言えばいいかな。)

そんな超ハッピーな気分になれないうちは、
あれが足りないこれも足りないっていう不満にどこかしら縛られて、
ほんとうは埋めあわせにしか過ぎないことを、
自分はそれがしたくってしてるんだと錯覚してる可能性が高いんだ。
だからまぁとにかく、
あれもこれもすべて完ぺきに揃っていることにしてしまおうっていうんだ。
変なことを言うだろ、
このオヤジは。
現実にはあれもこれも足りてないっていうのに、
なにもかも足りていることにしろ
って言うんだからな。
でもやっぱり
そこのところのイマジネーションが大切なんだからしょうがない。
キミの心が前提としているものが、
あとできっちり現実化してくるんだから。
はじめっから最高にしあわせな気分でスタートすることには意味がある。
なにもなくてもすべてがある‥‥
っていうのは
そういう境地を指してるんだ。
その意味は小さくないぞ。
足るを知る
っていう言葉の意味も同じようなものだ。
さあ、
埋めあわせではないことで、
自分のしたいことは何だろうかと探ってみよう。
そうすると──
自分のしたいことは、
他人に喜ばれること以外にありえない
と
気づくのではないかな。
同じことでも、
人に喜んでもらえるようなやり方がある
ってことに気づくのではないかな。
だとすると──
自分のしたいことのうちで、
いちばん人に喜んでもらえることは何だろう?
と、
そう考えるのがいいよね。
キミが他の人たちよりうまくできることならもっといい。
そこを整理するには──
  1. 自分がしたいこと
  2. 自分がうまくできること
  3. 役に立って人が喜んでくれること

の
3つの方向から考えてみることだ。
この3つがそろって、
しかもそれをどんなふうに提供するかというその形態に工夫を加えることで、
同じことでも喜んでもらえる度合いに差がつくんだと気づいたなら、
それはもうまちがいなくお金になると決まっている。
儲けようとあくせくしなくても、
ちゃんと入ってくることになっている。
そもそも儲かるとか儲からないとか、
あまり気にならない。
ほんとうにしたいことをしているなら、
お金にならなくても気にならない
し、
いくらやっても疲れない。
それが天職だ。
天職はひとつとはかぎらない。
20代に見つけた天職が、
40歳を過ぎてからなんとなくちがうと感じるようになり、
50代で別の天職を再発見することもある。
ひとつ見つけただけでも相当に運がいいのに、
ふたつもみっつも見つける人というのは超ハッピーだねぇb(⌒o⌒)d
ところが、
いまの若ゾウくんたちは、
ひとつもやりたいことが見つけられない‥‥というんだね。
ある意味、
ゼイタクな悩みだが、
気の毒な気もするよ。
やりたいことがわからないんだったら、
やりたくないことをやらされても文句は言えない
‥‥よな?
はじめにも言ったけど、
>他人の嫌がることをやれ!
とか
>苦労は買ってでもしろ!
という言葉、
ただ義務のように押しつけられるだけならやめたほうがいいんだが、
やりたくないことをやらされている状況
から学べることが
実はたくさんあるということは知っておこう。
やりたくないことをやらされていると、
>オレのやりたいことはこんなことじゃない!
っていう反発心が生まれるだろ。
ものすごく嫌なことを、
むちゃくちゃに押しつけられて、
苦しくなればなるほど、
これはものすごいエネルギーになる。
そのエネルギーを
>じゃあオレのしたいことって何なんだ?
を探すほうに使うと、
ボサッと生きているヤツより早く答が見つかる。
それが苦労ってもんの使い道だ。
我慢して我慢して、
けっきょく挫折して終わりなら何も残らない。
自信も失う。
心が屈折するだけの苦労なら我慢する価値もない。
しかし、
>やりたくないことをやらない
のと、
>やりたいことをやる
のは、
同じことのようで実はぜんぜんちがうので、
そこは履きちがえないように。
やりたくないことを消去法で避けていれば、
そのうちやりたいことが残るだろう‥‥

みたいな屁理屈は通用しない。
やりたくないことを避けているうちに、
物事をリフューズする消極姿勢だけが習慣化しちまって、
社会復帰が困難になるくらい性格がゆがんでしまうので要注意だ。
やりたいことを探してやってみるほうはいくらやってもいいいが、
やりたくないことを避けるのはほどほどにしとけ。
やりたいことで人生を埋めつくしていって、
やりたくないことをやっているヒマがなくなるようにもっていく
ことだ。
それもできないうちは、
ま、
罰ゲームみたいなもんだと思って、
やりたくないことをやらされる学びを受け入れとこう。
ふだんから自分のワクワク感とかトキメキ感に
じっとフォーカスを当てる習慣をつける。
どんなことが心を喜ばせることになるか?
それを探し続けることだな。