息子の中学受験に首を突っこむ
子どもに勉強しろと親が口出しすることに抵抗を感じるタイプでしたが、「下剋上受験」の影響も受け、長男の中学受験に首を突っこむことにしました。 親が子どもに関わるのは当然、それどころか合否は親で決まるという過激な風潮に対しても葛藤はありますが、やるからにはとことんです。
子どもに勉強しろと親が口出しすることに抵抗を感じるタイプでしたが、「下剋上受験」の影響も受け、長男の中学受験に首を突っこむことにしました。 親が子どもに関わるのは当然、それどころか合否は親で決まるという過激な風潮に対しても葛藤はありますが、やるからにはとことんです。
小学生という心身ともに成長しなければならないこの時期に、遊びを奪い睡眠を奪う中学受験。これを虐待だという人がいる。
わたしはむしろ逆ではないかとさえ思うのだ。
まだ10歳や11歳の子が、ライフデザインを持ち、今を頑張れるだろうか。中卒のような極端な例は別にしたとしても、高校を出てそのまま就職するとどうなるのか、大半はどうなるのか、大人はみんな知っているはずだ。
そこから先の人生はかなり長く、逆転はほぼ難しいことも大人はみんな知っている。自分の今の人生に満足している人ってどれくらいいるのだろう。満足していない原因をどのように分析しているのだろう。社会が悪いのかそれとも自分が悪いのか。
もし、そこに後悔があるのならば、そのやり直したい時期とは正に子どもの頃ではないのだろうか。その時期にどの程度の判断能力があるというのだ。判断能力が乏しかったからこそ、大人になった今の判断能力を持ったまま時間だけを巻き戻したいと思っているのではないだろうか。
しかし実際にはそれはできない。勉強することの大切さを大人になってから気付かされる。後の祭りだと気付かされる。もう今更嘆いても遅いよと囁かれる。小学生の睡眠時間を2時間減らすことが虐待だと考える人は、大人になり定年までの40年間を惰性で生きていく運命になること、眠れないほど将来の不安が襲ってくることをどう考えているのだろう。桜井信一「下剋上受験 – 両親は中卒 それでも娘は最難関中学を目指した!」より
人は努力して大人にならなければいけない。
この歳になってみてつくづくそう思う。私は地道な努力を避けて生きてきた。小学生の頃から大人になるまで努力した記憶がまるでない。結局、運賃だけが大人という情けない結果になってしまった。妻も同じだろう。それなのに私は、努力した人たちと同じ恩恵を期待する大人になってしまった。妻のように諦めることができなかった。
決して勉強を頑張らなかったことを悔いているのではない。何も頑張らなかったことを悔いているのだ。プロスポーツ選手は相当な努力をし、今脚光を浴びる場所に立っているのだろう。脚光を浴びていることが羨ましいのではなく、頑張れたことが羨ましい。ずっと何となく心のどこかにあった。頑張ることってもしかすると楽しいことなのではないか、辛いことという先入観は間違っているのではないか、そう思う気持ちが何かに包まれて私にも存在していたのかもしれない。
「努力に見合う恩恵が待ち受けている」
それに気付くのが遅かった。佳織には努力して大人になって欲しい。一段一段自分の足で階段を上って欲しい。もしそれが疲れるのなら、楽な方法を自分で考える大人になって欲しい。
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