みっともないぞ!これは気をつけたい
おもしろい言葉が流行りますね。
マウンティング
っていうんですか。
あっ!
そういえば、そうそう、あれか!
あれも、これも‥‥
そうかそうか、そうだったのかっ!
──と、
いろんなシーンのいろんな会話が腑に落ちて、
さすが、
流行るだけのことはあるなと感心しきりです。
で、
このマウンティングってやつ、
瀧波ユカリさんっていう漫画家さんが、
女子同士の会話に潜む格付け争いをこのように名づけたものですから、
一般的には女子の習性ということになっています。
本来は、
犬や猿が自分の優位性を誇示するために、
相手の尻の上に乗って交尾の姿勢を取る行為
を
指すんだそうな。
女子を、
犬や猿といっしょくたにするなんて、
もしこの言葉を男が言い出してたとしたら、
八つ裂きにされていたでしょうねε=( ̄。 ̄;)
コワ‥‥
さて、ここの部分について、セックスピアさんという読者の方からコメントをいただき、下記のとおりご指摘をいただきました。ありがとうございます。確かめきれないところもありますが、そのまま掲載します。
「マウンティング」という言葉を使い出したのは、瀧浪ゆかりさんではありません。評論家の呉智英という人が「吉本隆明という共同幻想」という本で広めました。この本は2012年に刊行され、たぶん2~3万部ぐらい売れたはずです(私が読んだのは2刷)。その後、文庫化もされています。もっとも、動物学用語としてはずっと前からありました。それを人間関係にまで広げて使ったたのは呉智英氏が初めてだと思います。(追記:2017,10,05)
わたしのリアルな周辺にはさいわい、
こんなコワい会話を交わす女子はいませんが、
まえから不思議だったんです。
実は、
フェイスブックの投稿を読んで、
なにか言い知れない違和感がゾワゾワッと湧いてきて、
気持ちが悪くなることがありまして。
出会ってからしばらくは親しくしていたアパレル系の女性経営者、
ここではAさんとしときましょう。
どっちかっていうと他人の不幸を喜ぶタイプだし、
ウソばっかりついてるし、
たまたま騙された気の毒な相手がシワシワになるまで甘い汁を吸い尽くす
っていうタイプです。
神さまの目は節穴じゃないんだから、
そんなやり方で事業が軌道に乗るはずないよ‥‥と、
言ってやりたくなるほどですが、
さあ、どうでしょうか。
かなりの美人ですからね。
しかも
ちょっとそそる感じっていうか、
>なんだこの女、
>オレに気があんのかな?
的な憐れな勘ちがいを相手の男性に抱かせるのが得意って感じの、
やっかいな美人です。
ヤバいうわさをいくつか耳にしたこともあり、
いまはわたしとは接点がありません。
その方が、
>わたしってなんてしあわせなんでしょう!
的な発言を、
これ見よがしにたびたびくりかえしているのが飛びこんでくるんです。
いわく──
>恋人ができました。
>>別れました。
>>>でもまた新しい恋人ができました。
>独立して社長になりました。
>>新しく覚えることがいっぱいあって充実です。
>入院しましたが退院しました。
>>心配してくれた友人からたくさんメールが来ました。
>>>驚かせてしまってごめんなさい。
>母の誕生日に贈り物しました。
>父が定年退職しました。
>結婚しました。
>>すごくたくさんの友人に祝ってもらいました。
>>>みなさんありがとう。
>>>>感謝してます。
>とってもしあわせ。
>>しあわせ。
>>>しあわせ続く。
──みたいな。
はいはい、
よかったでちゅねぇ(*^_^*)
みたいな。
あなたの身に起こるハッピーな出来事は、
みーんなフェイスブックから伝わってきてますから、
みーんな知ってますよって。
>でもこの人って、
>ほんとうにこれでしあわせなの?
>ふだんは別にしあわせそうにしてないよね?
って、
首をかしげている人が、
ここかしこにたくさんいるんですけど‥‥。
だって、
あなたの身に起こる不幸な出来事も、
みーんなフェイスブックから伝わってきてますから、
それもみーんな知ってるんですから。
>支店を出しました。
>>3か月間つきっきりで指導したスタッフに騙されました。
>>>心労が重なって入院しちゃいました。
>父の知りあいが新しいスタッフを紹介してくれました。
>>でもまたすぐに辞めちゃいました。
>>>お店の現金に手を付けていた形跡があります。
>2週間まえに母が倒れました。
>>母の看病に追われ会社の経理まで気がまわらなくなってました。
>>>わたくしってなんて不幸なんでしょう!
>人の不幸につけこんでこんな醜い仕打ちをするなんて、
>>あの人が許せません。
‥‥って、
不幸なときは不幸なときで、
それを大げさにアピールして、
誰か助けてオーラを出しまくるんですから。
>あんた、
>その何倍ひどいことしてきたって思ってんのよ!
って、
そりゃまわりの人たちがドン引きして呆れるのも無理からぬ話でして‥‥。
それがそのまま
彼女の会社の離職率の高さにもあらわれてるんですけどね。
せっかく大きな商談をつかんだと思ったら、
トンビのように悪人があらわれて横取りされ、
病魔にも冒され、
ときには命にかかわる(と本人が言っている)ほど壮絶な目に遭いながら、
そのたびに不死鳥のように蘇ってくるドラマチックな彼女の投稿が、
不思議でなりませんでした。
そのナゾを解くカギが、
マウンティング女子
っていう流行語にあったんです。
あ~スッとした。
ま、
要するに、
しあわせだと宣伝することでしあわせになり、
不幸だと宣伝することで不幸になる。
便利な魂なんですね。
──あ、
しまった。
きょうの本題はA子さんではありません。
女はなぜマウンティングするのか
っていう話でもない。
男だってけっこうそれを、
やってやしないかってことなんです。
そうか、他人との比較をやめたらいいんだ
男は、
社会的な地位や収入で単純に格付けが決まる
ってことになってますけど、
ま、たしかに、
女性とくらべればわかりやすいタテ社会なのかもしれませんが、
男だって近ごろはそんなに男らしくないのだし、
ステータス
ってもの自体がそれほど単純なもんじゃないんでしょう。
女子のそれと同じように、
男同士の頭の中にもマウンティングは繰り広げられています。
言葉尻のひとつひとつに、
微妙なジャブを滑りこませる器用さがない
っていう悲しい事情はありますがね。
>オレは課長でオメエは部長。
>仕事は確かにあんたのほうができるだろう。
>だが、
>嫁は完全にウチのほうが美人。
>ウシッ!
っていう場合、
課長は頭の中で完全に優位に立っている。
その勝ち誇った気分が
>部長は奥さんと2人で旅行なんてされることあるんすか?
っていう、
不器用な会話運びに出たりする。
やめましょうね、
そういうの。
この言葉が流行っているうちに、
ちゃんと気づいてやめましょう。
絶対評価基準
に
切り替えるきっかけにしましょう。
まわりと比較して、
条件付きしあわせにしがみつくっていうんでしょうか、
そういうの、
やめにしましょう。
くらべる
っていう心の習慣には、
最大限警戒したいものです。
しあわせに「だから」はいらない──
と、
こう覚えることにしましょう。
しあわせっていうのは、
無条件で絶対的で「いつもそうあるもの」です。
はじめからあるもの
で、
ずっとあるもの
なんです。
わざわざ言いふらす必要もない。
そこ、
わたしも気をつけよう。
>わたしは、
>しあわせだからしあわせだって言ってるだけよ。
>それのどこがいけないのよ(`Θ´)=3
って、
Aさんに噛みつかれそうですね。
いけなくないですよ、
なにも。
しあわせならしあわせを表現してください。
手をたたいて腰を振って踊っていただいてもけっこう。
ただわたしには、
あなたのしあわせが相対的なものに見えてしかたがない
っていう話なんです。
まわりの人たちに、
よかったわね、おめでとう、
うらやましいわ‥‥
って
言ってもらわないと感じられないしあわせなんてね。
浮いたり沈んだりするしあわせ
なんてね。
おかしいんでねえか?
他人とくらべてしまう
っていう習癖の裏にあるものは
不安
ですよ。
まわりと見くらべて、
勝った負けたと優劣を判断しながら、
安心を追い求めている。
それは
心のベースが不安だからなんですよ。
心に絶対的なよりどころをもとう
平均25分に1回、
手を洗わないと落ちつかない人を知ってます。
ガスの元栓が締まってないんじゃないかとか
鍵を閉め忘れたんじゃないかとか
か気がしてしかたがなくて、
何度も家に戻って確認する人もいます。
そういうの、
強迫性障害
っていうんですけど、
自分がしあわせなのかどうか、
何回も確認せずにはいられないとしたら、
それも強迫。
>あの、すいません、
>つかぬことをうかがいますけど、
>わたしって安心してますか?
なんて、
他人にきいてる人がいたらおかしいと思うでしょ?
ところが、
おかしいと思ってるあなた自身も
実はそうなんじゃないかって疑ってみてほしいんです。
フェイスブックに投稿すると、
「いいね!」の数とか気になりますよね。
誰がどんなコメントを入れてくれるかとかね。
それを気にしている自分の心の中味を仔細に分析してみると、
きっといろんな発見がありますよ。
娘にもらった手紙をそのまま載せたりする人も多いですよね。
大半は微笑ましく感じられて可愛いもんですけど、
中にはなぜか、
違和感を覚えるものがある。
子どもが生まれて何か月だとか、甥っ子が嫁をもらったとか、
入学したとか、卒業したとか、BBQのお肉がおいしかったとか、
めでたくてけっこうなんですけど、
そんな投稿、
ほんのしばらくでいいんで止めてみたらどうでしょう。
止められないなら中毒です。
ほんとうに大切な人への報告が、
あとまわしになってはいませんか。
めでたい報告ならまだしも、
身内の不幸をお知らせする投稿なんて、
いったいどう受けとめていいかわからない。
>葬儀にはBさんも来てくださいました。
>小さいころ、
>お父さんといっしょによく遊んでくれたなぁ。
>久しぶりに会えて感無量。
>多くの人に愛されていた世界一すばらしい父でした。
>ありがとうお父さん。
なんてことを、
そんなに大げさに
SNSで宣伝しなくても‥‥。
ぜんぶがぜんぶマウンティング行為だとは思いませんが、
言葉がいやらしく響くんです。
Bさんっていうのが、
けっこう有名な方だったりするのでね。
ご愁傷さま──としか(。・・。)