ガンになるまえに考えるガンの治し方

ガンにかぎったことではありませんが、病気やその他の出来事はすべて自分の心が招いたもの。 だから心で治すことができてあたりまえ。 ホメオスタシスを信頼し、自己治癒を信頼する。 人生最大級の「恐れ」を消せるかどうかが心の立て直しの鍵になります。


 ホメオスタシス。これは、身体が常に健康を保とうとするシステムを指す。
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 数十種類あるというホルモンは、このホメオスタシスという調整機能をつかさどるものの一つである。ある時、ホメオスタシスが崩れ、ガンができるとする。と、各種のホルモンは、脳からの指令によって、互いの分泌量を調節し、体内をもとの調和のとれた状態に戻すべく働く。そして、ついにはガンの存在を許さない環境を取り戻す。自然退縮は、この時起こり始めるのである。
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 自然退縮は、単なる幸運や偶然で起こるのでは決してなく、心の転換やライフスタイルの改善、あるいはそれぞれの人生に抱えていた困難な問題を解決するという、隠れた、そして偉大な努力の結果である。川竹文夫「幸せはガンがくれた:心が治した12人の記録 」から

親父が肺がんで手術のために入院したことを速達で知ったのは、
わたしが大学1年のときで、
横浜で下宿してひとり暮らしをしてたときでした。
36年前ですな。
いまよりはるかにガンは怖いもので、
なったら死ぬのがふつうというような時代だったので、
ひどくショックを受けたのはもちろんのことでしたが、
たいへんすぎて茫然とするしかなかったし、
騒いでもしかたがないので帰省して見舞いに行くこともせず、
じっと遠くから経過を見守るしかありませんでした。
亡くなったのは4年前ですが、
ガンで死んだのではありません。
肺の3分の1を取ってしまう大手術で、
背中にべっこり大きな穴と、
サメに噛まれたような恐ろしい傷跡が残っているのを、
それから帰省するたびになんべんも見ましたが、
よく治して元気になったと思います。
>痛い
というような言葉を、
他ではまったく言わない人でしたが、
そのときはよく痛い痛いと、
顔をゆがめてうなってましたから、
よっぽど痛かったんでしょう。
お見事な生還で、
それから何年間か、
いっしょに仕事できた時期もありました。
わたしがアホすぎて、
命のありがたみを感じることが足りなかったんですけども、
たいした精神力だったなと感服します。
なのでみなさんにとってもそうであるように、
わたしにとってもまた、
ガンの恐怖は身近なところにずっとありました。
妻が乳がんで、
乳房切除の手術を受けてから5年半。
治った
と、
信じてます。
初期だったことがさいわいだったのか、
切り取って抗がん剤で叩くという定番の治療でした。
別のところでもちょっと書きましたが、
妻は、
子どもが熱を出したらすぐ薬だ病院だというタイプですから、
話しあってもかみあわない可能性も高いので、
治療法をめぐってはわたしは何も言いませんでした。
おっぱいがなくなるのは別に、
本人はそんなに気にしてる感じでもなかったですが、
左右のバランスが悪くなるので、
もういっぽうのおっぱいを小さくしたいというから、
そんなんはいつでもできるんやから、
急いで切るのはやめにしとけよと意見したのがそれっきり。
なくなったほうの再建もしてないし、
小さくする手術もしてない。
気にせずそのままのんきに生きてるのはえらいと思います。
妻のお母さんもガンで、
いまではあっちこっちに転移してるみたいですけど、
これもえらいなと思うのは、
治療も何も、
もう検査も受けずにのんきにそのままマイペースで生きてはります。
あの人も、
ガンで亡くなることはないんじゃないか

そんな気がします。
ガンは自分で治すもの

ガンのニュースは、
身のまわりにあふれてます。
他人事ではないので、
ひとつひとつそれなりに気にかかります。
悲しい話を、
何重にも大げさに悲しむことはしませんが、
治して元気になられたほうの話なら、
それは積極的に知っておきたいと思います。
「治るという前提でがんになった – 情報戦でがんに克つ」
という本が目にとまり、
読んでみる気になったのは、
著者の高山知朗って人が、
IT会社の創業経営者だっていうところに惹かれたからだったと思います。
>40歳、脳腫瘍。42歳、白血病。
>5年生存率10%――
>徹底的に調べつくして2度のがんを生き延びた、
>IT社長のすごい方法

っていうのが、
この本のPR文でした。
とてもスマートでクレバーな文体、
心の持ち方もしっかりしておられまして、
ああこういう人なら幸運も引き寄せられて、
しっかり治せてしまうんだなと思った。
 私は以前から、「思考は現実化する」というのは本当だと考えてきました。だから、自分の2回のがんは自分の思考が引き寄せたのかもしれないと考えるようになりました。まさに、「病は気から」です。
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 起業、経営、結婚といったポジティブなものから、今回の病気や入院に関するネガティブなことまで、「思考が現実化する」ということについては、それまでの人生で体感的に理解し納得していました。
 だから、間違った思考をしっかりと上書きできれば、病気を治すことができると思えるようになりました。
 思考の上書きの具体的な方法は、瞑想とアファメーション(自分への宣言)です。まず瞑想です。寝る前に、じぶんの呼吸に意識を集中して、頭の中を空っぽにします。湧き上がってくる雑念は、いちいちとらわれずに受け流していれば次第に出てこなくなります。高山知朗「治るという前提でがんになった – 情報戦でがんに克つ」

これ、
とてもよく理解できますね。
まったくそのとおりで、
こんなふうに心の積極化を習慣にしていれば、
身体も必ずそれに応えてくれるようになるものです。
この方のすばらしいところは、
こんなふうに想念のはたらきをしっかりと認識しつつも、
精神世界に浸りきりになることなく、
実践的でリアルな情報収集に努め、
アクションに結びつけて考えられているところ。
著書の中でも、
病院の選び方という大きなテーマから、
お見舞いの差し入れは何がいいかとか、
どんな言葉をかけたらいいかとか、
主治医に渡す「心付け」についてとか、
スマホやタブレットの持ち込み、
食べるもの着るものの細部に至るまで、
とても具体的で役に立つ実用上のノウハウが満載です。
ほんとうにバランス感覚にすぐれた人なのだなという印象を、
たいていの読者が受けるのではないでしょうか。
ガンは治るのがあたりまえ

これで思い出したもう一冊の本、
「幸せはガンがくれた:心が治した12人の記録 」(川竹文夫)。
たしか妻がガンで入院したころ、
自分で買った記憶がないので誰かにもらったものなのか、
それが誰でどんな意味でくれたのか、
おそらく妻に読ませてみてはと勧めてくれたのだとは思うけど、
なぜかそういうのも覚えてなくて、
けっきょく一度もページを開くことなくずっと本棚の奥に積んであったのを、
読んでみようという気になりました。
タイトルからしてなんとなく中味は想像できたのですが、
読んでみると、
たしかに筋立ては想像どおりとはいえ、
命のやりとりの現場からリアルな臨場感が伝わってきて、
相当な説得力です。
ガンは心の力で治せるのがあたりまえじゃないのか
と、
そんな確信を抱くほどになります。
いちばんハッキリ共鳴してしまうのは、
ガンは自分で作るものだということ。
外に原因があるのではなく、
自分がこしらえたもんだから自分で治せるということ。
この本の「ガン」っていう箇所を、
他の病気や災い全般に置き換えても同じことがいえます。
すべては自分の心が呼び寄せているのだし、
心が作ったものだから心で消せる。
それが真理。
「ガンはね、自分で作り上げたものだと思うわね。偶然じゃないわ。偶然なんて、一つもこの世の中にはありっこない」
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「偶然じゃなくて、もとをちゃんと自分が作ってたのよ。病気のもとを。心あり方が間違っているから病気が出てきたのだと思うわね。たとえばね、ガンになって信仰を始めるまでは、人を裁くこと天下一品だったね。本当に人を裁いて、あの人が悪い、こうだから悪い、ああだから悪いって、裁いてばかりいた」
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「それから自分の心を変えていった。何でもね、どんな状態が起きても、それを感謝の気持ちに変えるんだわ。あらゆることをみんな感謝に変えるの。感謝ほど全身の緊張を緩めるものはないんだから。感謝して‥‥生きてることを感謝して、全身の細胞の緊張をみんな緩めていれば、病気なんかならない」
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「別に検査はしないけども、異常がないからそのままだね。自然消滅だわね、ガンの。だんだん小さくなって、そのうちに柔らかくなってなくなった」
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「病気なんて怖くない。病気は、人生が良くなる過程の姿だと思ってる。こうなりたい、ああなりたい、健康になりたいっていう心の底にある願いは、すでに達成されているんだね。思えば必ず、そうなるの。達成されるの。だから、みんなお任せして、ぼーっとしてるほうがいいんだわ」川竹文夫「幸せはガンがくれた:心が治した12人の記録 」から

自分で情報を集め自分で選択すること

「幸せはガンがくれた 」の初版は1995年なので、
舞台はもう20年以上も昔のことなのですから、
ガンを取り巻く治療方法やその他の環境も、
ずいぶん進化して激変しているようにも思うのですが、
あにはからんや、
薬に依存した対処療法の隆盛や、
お医者さんの西洋医学への傾倒などは、
いまもちっとも変わってない様子なんです。
むしろ退行している
という見方さえあるようで。
白血病など一部のガンには有効ということらしいのですが、
やはり抗がん剤治療に対しては否定的にならざるをえませんね。
自分がガンになったら抗がん剤を使うかという調査で、
8~9割のお医者さん自身が「自分には使わない」と答えてるそうじゃないですか。
しかし、
「治るという前提でがんになった」の高山知朗さんは、
そういうところも非常にバランス感覚よく、
収集された情報を客観的に分析され、
>「極論」や「断定的表現」は疑ってかかるべき

おっしゃってます。
その上で、
代替療法、民間療法は三大治療の補助とすべき
というお立場です。
>しっかりと真実を見極めるリテラシーが、
>これまで以上に求められている

とも
述べられてますが、
それもまったくそのとおりと思います。
>病気になったら医者まかせ
って言葉もありますが、
これ、
自分で考えなくていいというのとは意味がちがいますよね。
びくびくせずに、
気持ちを大らかに保ちなさいよという意味であって、
自己責任を放棄していいということではありません。
あくまで決めるのは自分。
何ひとつ、
お医者さんのせいにするのも大まちがい。
いったん任せたもんなら、
結果がどうあれ、
それでお医者さんや病院を恨むようなことがあってはなりません。
全責任は自分です。
ガンを恐れないでいられるか

さて、
ここでまた「恐れ」というテーマです。
余命宣告という人生最大級の「恐れ」を突きつけられて、
いったい恐れずにいられるものなのか。
ガンを恐れること自体が、
免疫力を低下させ、
ますますガンを治りにくくしてしまうというのに‥‥ですね。
それまでの人生で修練を積み、
恐れに対して相当な抵抗力をつけてきたという自信のある人でも、
命まで取られるかもしれないとなると、
動ぜずにはおられないのではないでしょうか。
たとえそうであってもどうであっても、
心をそれに関わらせず泰然としてなさいというのが天風教義であるわけですが、
さてどうでしょう。
ガンは逆境の象徴。
過酷な闘病記を買い求める心理は、
自分自身が過去に舐めさせられた辛酸の数々、
もしくはこれから身に降りかかるかもしれない理不尽を重ねあわせ、
それを乗り越える疑似体験を共有したいんでしょう。
ガンは心の病です。
病でもなんでも、
心がつくりだしているもんなんです。
ならば、
それを治すのも心。
 自分が何も変わろうとしないで、ガンだけをてっとりばやく治してくれといっても、それは無理なんです。ある人がガンになるには、それなりの理由がある。それも、どこか外にあるのじゃなしに、自分の内にある。間違った心の持ち方やライフスタイルの歪みがあって、それで、なるべくしてなっている。だから、自分を変えてゆくことしか、本当に治る方法はないんですね。
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 自分を変えていくことができれば、病気を治すのに、ガンを治すのに、何も特別のことをする必要はない、というのが私の考えです。あとは自然治癒力が治していってくれる。病気が勝手に消えていってくれる。それがホメオスタシスというものです。川竹文夫「幸せはガンがくれた:心が治した12人の記録 」から

神さまのいたずらか

高山知朗さんの闘病は
まだ終わっていませんでした。
著書の中で、
完全寛解という報告があるにもかかわらずです。
ガンというのはいちど治ったように見えても、
再発の可能性がありますから、
「完治」という言い方をしない。
なので、
症状が落ち着いて安定した状態のことを「寛解」(かんかい)というのですね。
もうだいじょうぶだ

いえるところまで来たから本が出たわけで。
めでたしめでたし‥‥の
はずでした。
IT会社の経営者ということもありましたので、
その後の人生が気になったわたしは、
氏のブログをのぞいてみて驚きました。
>急性骨髄性白血病で入院しました
という報告が、
3月3日のブログにあり、
脳腫瘍ともちがう、急性リンパ性白血病ともちがう、
3度めのガンになりましたという内容だったからです。
最初のガン、
悪性脳腫瘍(グリオーマ)が見つかったのが2011年6月。
当時わずか1歳の娘さんが二十歳になっていっしょにお酒を飲めるまで、
あと19年は最低でも生きると決めた心境に感情移入してしまって泣けました。
2回めのガン、
悪性リンパ腫の発覚は2013年4月。
完全寛解の結果となったのは、
2013年11月の検査です。
本が出たのが2016年9月で、
3回めのガンはそれからわずか半年後の2017年3月。
こんどは号泣する娘さんに感情移入してしまったわたしは、
嗚咽を止めるすべもなくどれだけ泣かされたかわかりませんが、
きょうのブログによると、
無事きのう(7月17日)退院されたということで、
ひとまずよかったなと。
この人にどれだけ多くの人が励まされたか、
そしてどれだけ多くの人が、
もっと励ましてほしいと望んだか。
想念は現実化していますから、
ここ、
注意しないといけないとこなんですね。
これほど多くの人の想念が、
もっと励ましてほしいと望んだということは、
この感動的なドラマの続きを見たいがために、
もう1回ガンになってくれとアンコールしたのと同じことですから。
出来事は、
ひとりの想念で決まるものではありません。
多くの人が関わっている場合には、
その多数の想念による「多数決で決まってゆく」(谷口雅春)のです。
それ以外、
この人が3回もガンに冒されなければならなかった理由がありません。
もっと励ましてもらいたいとか、
同じ苦しみを長く共有していたいというような期待は捨てて、
健康が完全に回復されるイメージを描きましょう。
とことん想念をクリアに、
生きていただきたいです。
ともあれ‥‥
お嬢ちゃん、
おうちにパパ帰ってきてよかったね。
よかったよかった。