良いも悪いもないというお話
はじめにラッキーだと思ったことが、あとで不幸を生むこともある。 不運だと思ったことが幸せな結果につながることもある。 幸か不幸か、吉か凶か、どう転ぶかわからない。だから判断すること自体に意味がない。 すべてがベストという前提で生きてみませんか。
はじめにラッキーだと思ったことが、あとで不幸を生むこともある。 不運だと思ったことが幸せな結果につながることもある。 幸か不幸か、吉か凶か、どう転ぶかわからない。だから判断すること自体に意味がない。 すべてがベストという前提で生きてみませんか。
近塞上之人、有善術者。
馬無故亡而入胡。
人皆弔之。
其父曰、此何遽不為福乎。
居数月、其馬将胡駿馬而帰。
人皆賀之。
其父曰、此何遽不能為禍乎。
家富良馬。
其子好騎、墮而折其髀。
人皆弔之。
其父曰、此何遽不為福乎。
居一年、胡人大入塞。
丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。
此独以跛之故、父子相保。
故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也
私たちの自我には「どちらが良い」と判定する能力はありません。
10年後、20年後の結果がどうなるのか、わかりません。「AかBか」の選択のチャンスがあって、どちらを選んだほうが自分のためになるのか、私たちには判断できないのです。
それなのに、いつも「どちらがいいのか」と自我は判断しています。
起きてきたことを「良かった、悪かった」と喜んだり嘆いたりするのは、何の意味もありません。
* * *
この話で大体おわかりいただけたと思うのですが、ある出来事に対して、それが良いことか悪いことかはわかりません。ですから、判断することに意味がないのです。
ところが、人間というのは、いつも判断して生きているようです。
人から何か言われて、それが悪口だととらえる人がいたとしましょう。しかし、悪口かどうかはわからないし、言われたことが本当に悪いことかどうかもわかりません。
判断する時間があったら、そのエネルギーを「今に生きる」という方向へ向けてはどうでしょう。いつも自分の中心に意識を合わせて、「今、ここ」を生きませんか。
私は「起きてくることは、すべてベストである」という話をしています。
その出来事が良いか悪いか、と判定する能力は自我にはないのですから、判定するのは置いておきましょう。
「このままがベストなんだ」と決めつけてしまうのです。
「良い・悪い」という判断を捨てて、今、目の前にある事実とともにいてください。あなたの宇宙の事実から目を離さず、「今、ここ」をただ体験してみるのです。津留晃一「津留さんが、心から伝えたかったこと」