数息観──いま、ビビって苦しい人への不安克服法

いままさに、ビビって苦しんでいる人への不安克服法は、息を数えるだけの数息観。 ふつうと少しちがうのは、大きい数字からのカウントダウンである点。 心機転換の要諦は「有我一念」からの「無我無念」。 意識を、ひとつにまとめておいてからゼロ(=無)に持っていく技術。

呼吸は万能薬である

不安で心配で怖くて、
胸が締めつけられるほど苦しいときの対処法のひとつをご紹介します。
少しまえに、
不安で不安で不安さんからご質問をいただき、
それに回答させてもらったものを手直しして補足しました。
簡単な方法です。
ふだんの訓練法というよりも、
たったいま心配なことがあってビビっていて、
指先が冷たくなって震えてしまうほど、
目の前に差し迫った恐怖感があるという、
そういうケースでお役立ていただければ、
と。
ここにご紹介する方法では追いつかないくらい、
あまりひどいビビリであれば、
心療内科の受診されることをもちろんおすすめします。
お薬の効能はまったく否定しませんので。
しかしわたしは、
心がしんどいからといって医者に診てもらおうという世代でもなく、
クスリで心がラクになるなんてことを思いつきもしませんでしたので、
いまだにその系統のクスリは飲んだことがありません。
とことんセルフメディケーション派です。
ここでお試しいただく方法は、
禅の修行法のひとつである数息観を元に、
呼吸のしかたやその数え方などを、
わたし流にやりやすく変形したもので、
ぜんぜん正統ではないけれど役に立つはずのものです。
数息観(すうそくかん)とは、禅を組み、静かに自分の呼吸を数えて精神の安定を図る修養の方法である。仏教とともにインドから中国に伝わった後、さらに日本に伝わった。実修においては、数を間違えないことと、雑念を交えないことの2つが条件とされており、この条件に反したときは、またはじめからやり直さなければならない。座禅の初心者向け呼吸法としてしばしば用いられる。

瞑想のすゝめ」の中でも触れましたが
>50から1つずつ減らして49、48、47‥‥というように、
>息を吐くごとにカウントダウンします。

どうかばかばかしいと言わず、
やってみてください。
以下、
くわしく解説しますから、
やるからには呼吸こそ万能であると確信してお試しください。

意識を外に向けるな

ビビっている人の圧倒的大多数がおかしている過ちは、
意識が外に向いてしまっていることです。
怖いことの原因のほうに気が向いている。
それがあたりまえやと思われるでしょうけどちがうんです。
あなたが若い女性で、
ストーカーに狙われているとします。
駅のホームで待ちぶせしていたそいつに、
電車を降りると出くわしました。
あなたは口から心臓が飛び出るほど驚いて、
息もできないほど苦しくなりました。
怖いのはストーカーの存在ですから、
心の中は卑劣でいやらしいストーカーの姿で埋め尽くされます。
そいつが次どこに現れて何をしてくるか、
どうやって逃げて誰に助けを求めたらいいのか、
恐怖、恐怖、恐怖‥‥
頭の中もストーカーだらけです。
あるいはあなたは、
命にかかわる難病にかかっている患者で、
検査で数値が悪化していれば大手術を受けなければならないとします。
陽性だった場合に自分の生活から奪われるもののことを考えると半狂乱、
検査結果が気になってしかたがありません。
あなたがもし零細企業の経営者で、
売上の5割を占める大得意先からの仕事を止められてしまったとしたらどうでしょう。
会社倒産で何もかも失うのが恐ろしくて、
心がパニックを起こしそうです。
──何が怖いかは人それぞれ。
いまのあなたは、
もっともっと怖いことに直面しているにちがいありません。
恐れの対象はそれぞれであっても、
それらはすべてにあり、
あなたは外側にある何かをどうにかしようとしてしまいます。
どうにかなってほしいと、
そのことばかりに意識が向いてしまい、
執着が起きてしまうんです。
ですがそのとき、
どうにかして意識を内側に向け直してほしいんです。
絶体絶命の状況が目の前に迫っているとき、
自分の身体がどう反応するかを知っておけば、
いま自分自身が、
どれほどビビっているかを理解する助けになります。

潜在意識を味方につける

怖いことから意識を引き剥がすことが最優先。
あなたは食事も喉を通らず、
貧血気味で息苦しく目まいがして眠ることもできないとしましょう。
そわそわして落ちつかず、
ひとりでじっとしていることができず、
仕事も手につきません。
こんな身体の負担を取り除かなければ、
やがて倒れこんで病気になってしまうでしょう。
怖いとき、
キュッと縮こまるのは心臓のあたりですから、
恐怖は心にあるもののように思えますが、
怖いと知覚しているのは脳ですから、
頭をちがう方向へ持っていかなければなりません。
うろたえることで事態が好転することなどありませんよね。
すみやかに手を打つことと
うろたえることとは別物だとわかってください。
まずひとつ、
息をフーッと吐きます。
数字はいくつから始めてもよろしいが、
長くやりたかったら大きな数字から、
短く済ませたかったら小さな数字で。
30にしましょう。
吐いたら次は吸う。
そしてまた、
ゆっくり、細く長く、
息を吐ききる。
はい29
またスーッと吸って、
フーッと吐いて、
28
息を吐ききったところでクンバハカを思い出すとなお良し。
同様に、
272625‥‥と続けていくだけなんですが、
呼吸がゆっくりですから、
30から20にたどりつくだけでも3分くらいかかりますよ。
無事に終わらない可能性が非常に高いです。
神経質でビビリなあなたは特に、
までたどりつくなんて至難の業。
怖さのあまり気が散ってしまうからですね。
途中でよそごとを考えてしまって、
いくつまで数えたかわからなくなります。
そうなったらもう1回はじめからやってください。
呼吸を、
恐怖の対象から意識を引き剥がす道具として使うわけですね。
苦しかった胸が少し楽になるはずです。
しびれていた指先も、
心なしか血のめぐりがよくなったように感じるはずです。
怖い、怖い、
まだまだずっと怖い‥‥
効果が薄いときは、
口角を上げてみてください。
かたちだけでもいいからスマイルするんですね。
これは、
潜在意識のほうまで恐怖から引き剥がすためです。
いまの怖い体験が、
過去の怖い体験を潜在意識下で連想させて、
ビビリを増幅させていますから、
これに笑顔で対抗するんです。
ウソの笑顔でけっこう。
かたちだけの偽スマイルでも、
脳は過去のハッピーな体験を引っぱり出そうとするので、
あなたはそういうことはわからなくて無意識でよろしいです。
同じ理屈で、
おふとんの中で寝ているときなら、
大の字になって手足を大きく伸ばすとか。
息を数えるという作業だけでは、
顕在意識をそらすことはできても、
なかなか潜在意識のほうまでは効果が及ばないことがありますから、
こういう方法を併用するんですね。

ひとつにまとめてゼロにする

呼吸しながら、
大きい数字から反対向きに、
自分の息を数えるだけ。
はい24‥‥
また吐ききって23‥‥
ただ単に、
数えることの難しさを感じてくださいナ。
心が恐怖に奪われているとき、
あるいは怒りでも悲しみでも同様ですけど、
息を数えるという、
たったそれだけの、
子どもでもできることができなくなります。
22‥‥?
いくつまで数えたか、
わからなくなってしまわないようカウントに集中します。
30からはじめて、
21まで来ましたか?
それとも20
ほらね、
わからなくなりましたね。
Σ(・ω・;|||
心になんにもない状態のことを、
無念無想といいますね。
なんにもないってことは、
怒りも恐れもない。
いま、
ビビりまくってうろたえているあなたなら、
心の中から恐れを消せるってことが
どれほどありがたいかわかりますね。
このやり方で消せますよ。
1918か、
わからなくなった人はまた30からやり直し。
脳に、
息を数える
っていう
たったひとつの宿題を出すわけです。
たったひとつの、
めちゃめちゃ簡単そうな宿題なんですが、
恐怖でいっぱいの脳にはなかなかたいへんな作業。
かかりっきりになりますよ。
無念無想への近道は
こんなふうに、
ひとつのことに心をまとめることなんです。
安定打坐もそうですね。
ブザーの音ひとつにすーっと意識をまとめておいて、
フッと切る。
黒い丸を紙に書いて、
じーっとそこを凝視しといてから、
パッと目を閉じるという視覚的な方法もあります。
コントラストのはっきりしたものなら、
見つめるものはなんでもいいんですけども、
この方法は、
中村天風師の「安定打座考抄」「無我一念法」として紹介されています。
まぶたの裏に見える残像をじーっと眺めているあいだに、
意識がひとつにまとめられ、
やがてそれが消えていくと同時に無我の境地に達するという理屈です。
つまり、
ひとつにまとめておいてからゼロ(=無)に持っていくっていうのが、
心機転換の要諦なんですね。
天風先生の言葉をお借りすると、
有我一念からの無我無念
から
数息観では、
息を数えるっていうひとつの作業に、
意識をまとめていきます。
それ以外のことに気を散らさない。
恐怖から意識を引き剥がす訓練なんですから、
ここでは無念無想なんて境地は目指さなくてもよろしい。
外側の状況が何も改善してないのに、
なんかだいじょうぶな気がしてきたら第一段階の目標達成です。

呼吸とクンバハカはセットで

クンバハカと呼吸をセットで使うことができれば理想的、
最強です。
ダーンときたやつをカッと軽くいなす方法中村天風師「成功の実現」より

ですからな。
もしあなたが、
クンバハカを習慣にしてからの年季が入っている方だとしますと、
反復体験自体が潜在意識にはたらいて、
過去の絶対的な安心感を呼び起こしてくれますので、
最速で恐怖心を撃退することができるはずです。
忘れたらまた思い出して実践してくださいクンバハカ
これからも、
あなたの心をプロテクトしてくれる守護神になります。
息を吐ききる手前あたりから、
だんだん呼吸が止まっていくような感じになりますから、
そのあたりから肛門を締めあげていき、
息を吸いはじめるタイミングで緩めるというリズムがいいじゃないでしょうか。
ずっと締めっぱなしというのではメリハリがききませんし、
息を吸うときに下腹に力をこめるのはむずかしいと思いますので、
わたしはやりませんが、
逆の方もおられるかもしれません。
ご自身に合ったやり方を見つけてくだされば。
息を吸うときは、
体内に取りこまれた酸素が、
苦しいところ、痛みのあるところ、患部、へ、
行きわたるようにイメージしながら、
姿勢を整えるようにしましょう。
吐ききるときほど力は入れず、
ゆえに吸いきるという感じではなく、
ゆっくりゆっくり自然に入ってくるに任せます。
いくつまで数えたか忘れないように、
外に気を散らさないように、
口角を上げて‥‥
はい、
また吐いていく。
そしてクンバハカ

電車の中でもできる数息観

この方法の最大のメリットは、
道具も何もいりませんから、
息するだけですから、
電車に乗っているときでもできる。
病院の受付で、
長いこと待たされているあいだでもできる。
安定打坐ですと、
ブザーとかおりんとか、
音を出すしかけが必要ですが、
こっちは何もいりません。
立ってても座ってても歩いててもできるので、
散歩しながらでもお風呂でも退屈な講義中でもできる。
クンバハカも同じく、
自分のケツさえ持っていくのを忘れなければ、
いつでもどこでもすぐにでもできる。
しかし
敵も然る者。
怖いという気持ちはどこからでも忍びよってきます。
だから自分が、
怖がっているな、ビビっているな、息苦しいなと気づいたら、
ほっておかずに向きあう必要があるんです。
従えば強まるという法則があることを、
最大限警戒してください。
不安や恐怖に従ってしまえば、
いたづらにその消極観念を拡大再生産してしまうだけなんです。
自己の内面を観察すること(≒内観)が欠かせないのは、
気づきを養うためです。
恐怖にとらわれて、
本心良心が損なわれている自分に気づけるかどうか。
薬物療法によるお手軽な改善がおすすめできないのは、
ひとつには内観が疎かになるからですね。

問題を急いで解決しようとしない

いま、
恐怖に打ち負かされておたおたしている自分の内面に意識を向けてください

言いました。
が、
意識を外に向けるなということではありません。
順序が肝心です。
ずーっと以前、
問題は急いで解決しようとしないでねという話をしました。
先に内面の動乱を鎮めてから、
落ちついて外側の問題に当たってくださいという趣旨です。
そこ、
変わってません。
あなたがいま、
錯乱状態にあったとしても、
その順序は変わりません。
何回も復習しないと忘れますね、
この順序を。
わたし自身もちょいちょい忘れます。
ビビったままの状態で、
あわてて外側にはたらきかけて、
安直に問題を解決しようとしてしまいますよ。
月並みな人間って、
ほぼ全員そんな順序なんでしょう。
そんな順序だから月並みなまま、
たいして成功せずにうろちょろしてるともいえますね。
うろたえたままでは死にたくないと思いませんか。
ビビりな人生はもうまっぴらだと。
お金のトラブルにしろ人間関係のもつれにしろ、
外側の問題を解決することより、
あなたの心がビビらず落ちついていることのほうが何倍も大切です。
一歩でも、
不動心に近づけることのほうが価値があります。
落ちついてコトに当たれば、
解決する確率も何倍にも高まりますが、
もっと驚くべきことに、
問題の大半は、
あなたが何もしなくても勝手に消えてなくなります。
何もしないほうが、
むしろきれいに片づく可能性が高いといっても過言ではないくらい‥‥
その驚きの体験を積み重ねてみてください。
そうすれば自分の思考が頭の中で議論することもなくなります。
ほったらかしにして逃げるんじゃなく、
問題は確かにそこにデーンとあるんだけれども、
順序としてそれを急いで解決しようとするんじゃなしに、
先に内側から‥‥って話ですよ。

薬や音楽やスポーツでごまかさない

ともあれ、
心の中から恐怖を消し去るのは容易ではありません。
ひどいときは、
3時間、4時間どころか、
一日じゅう数息観を続けることになるかもしれません。
それを悲劇と思うとやってられませんので、
ビビりを卒業するためには、
誰しもが通る道なんだととらえましょう。
リラクセーションといえば、
音楽を聴いたりスポーツしたり、
お香を焚いたり友だちとおしゃべりしたり、
温泉やサウナで汗を流したり‥‥
いろいろ自分なりに手段をお持ちのことでしょう。
怖いことから意識を引き剥がす手段としてはOKです。
ストーカーが怖いなら、
彼氏とずっと電話したりLINEでメッセージ送りあったりとか。
それで恐怖を忘れられるならOK。
一時的にはOK。
わたしがおすすめしたい手段とどこがちがうかというと、
さっきも言いましたけど、
内観を伴わないところなんですね。
怖いっていう気持ちはどこにあるんです?
どっから湧いてきてどこに居すわってるんだか、
胸が苦しいのはわかりますけど、
さっさと立ち去ってほしいにもかかわらず、
そこからどかせられないなんて、
ちょっと悔しいじゃないですか。
外側に向きがちな意識を、
内側に向けなおしてくださいよと申しあげているんです。
怖いことから意識を剥がしても、
外にある別の事柄に意識を向け直すだけであれば、
いったい自分の心や身体がどんなふうに乱れているのかを観察することができません。
音楽やスポーツの種類によっては、
内観を促進する意図を織りこんだものもありますので、
そういうのならOKでしょう。
しかしやっぱり、
怖がらない心をつくるという作業は、
一朝一夕にはいかないものですから、
自分を知ることが必要不可欠。
初心者なら、
毎日何時間もこれを続けることになるかもしれません。
特殊なことではないんです。
目に見える肉体改造といっしょで、
心の鍛錬にも3年、5年かかるものと考えていい。
あなただけが特別に変なんじゃなしに、
わりとふつうにあること、
珍しくないことです。
「怖い」気持ちを克服するとは、
それほどたいへんなことなんです。
おまけに、
宗教にも医療にもお金をかけずに克服しようってんですから、
手段は簡単ですけど根気は必要ですね。

心臓に毛が生えてくる

もうずいぶんむかしのことのようで、
忘れかかっていますけど、
やっぱりわたし、
ずいぶんビビリっぱなしだったんでしょうね。
怒りにも恐れにも振りまわされてばっかりでしたけど、
要するに心が弱い
弱いからこそ心について
いろいろ学ぶ必要に駆られた。
先にあったのは恐れで、
もしかしたら怒りっていうのは、
ビビりな自分を防衛もしくは隠蔽するために、
心が常時生成して蓄積していた感情だったのかもしれないな
‥‥とも思います。
学んでも学んでも不器用で、
社会にも組織にもうまく順応できなかったから、
独立するっていう道が心地よい選択だった。
けれどいまはもう自己啓発本を読むこともなく、
ふとんに入ったら数分でぐっすり眠れるし、
ごはんもお酒もヤバいくらいたっぷり美味しくいただけるもんですから、
心の鍛え方がわかって現実にも鍛えることができたことを、
ほんとうに嬉しく感じるんです。
いくつもの良好な人間関係が成立していることが、
奇跡のように感じます。
気がつけば、
まわりにはわたしよりもっと心が弱い人で溢れてます。
眠れなくて苦しんでいる人の話を聴くと、
愛され感に浸りながらぐっすり安眠できる夜をプレゼントしたくなるんです。
不安で不安で不安さんにもね。
さあ、
もう何年前のことでしょうか。
この数息観をくりかえしくりかえし、
いっしょうけんめいやってましたけど、
このごろはぜんぜんです。
あなたもきっと、
ぐっすり眠れるようになりますから。