執着解脱の旅

苦の源は執着。執着を落とすためには気づき続けること。 覚醒した心、すなわち気づいている状態、すなわちマインドフルネス。 刺激と反応の隙間は狭く、そのわずかの隙間で反射をコントロールするには、 覚醒した心を保つしかありません。あるがままの自分へ還る旅に出ましょう。


いま、
こころにがある方へ。
あなたがいつまでたっても苦しい理由を言いましょう。
それはあなたが口を開くたびにを吐いているからです。
こころの汚れが口から出ているんです。
「恐れ」「怒り」が、
不平不満となり、愚痴となり、ボヤキとなり‥‥
自分の口から出るで自分の気分が黒く汚れるのですが、
あなたはそれがわかっていても口からが噴き出すのを止めることができません。
そのは、他人を傷つける以上に、
実はもっと深刻に自分自身の心をむしばんでいます。
じゃあ、
それに対してどうするのか。
ひとつ、
大切なことは「思い出すこと」です。
不安定な感情に不安定な行動が続きます。
そしてますます不安定になるという悪循環です。
生き物なら不可避ともいえる、
このような負の連鎖にしたがって生きるかぎり、
どうしても苦しみから逃れられないことはもうご承知のとおり。
だから、
意志の力によって断ち切ることのできる負の連鎖なら、
力ずくで断ち切ってこられたはずです。
エゴさんはその点、
よくがんばってくれるんです。
けれど断ち切れないまま残るのが、
あまりにも速く起こる反射的な反応です。
言葉、
特に怒りや怖れの表現です。
ムッとしたとき、あるときはカーッとしたとき、
またあるときはキリキリしたとき、
巻きこまれてしまってコントロールできません。
感情が意識の検問をすり抜けてそのまま口から飛び出ます。
究極の難題は、
感情(特に怒りと怖れ)と、
それに続く行動とのあいだに楔を打ちこむことです。
そして不用意な感情の垂れ流しを止めること、
それに尽きるでしょう。
しかしそれは、
生半可な心がけでは止めることができません。
そこに自分がいなくなるからです。
さっき心に誓ったことがもう守れません。
感情に引っぱられ、
自分というものが片時も自分本来のポジションに留まってくれません。
ほんとうの自分
とんでもなく忘れっぽいのです。
いかに自分が自分であることを忘れているか、
気づくことさえもできません。
だからまず、
日々実行すべきことの中で抜群に大事なこととして、
「思い出すこと」を習慣化してください。
あなたは他にもいろいろ実行すべきことをリストアップしているでしょうが、
それらのすべての前提として、
ほんとうの自分を、
あるいは、ほんとうの自分へ戻ろうとする心がけを、
できるかぎり頻繁に思い出すことが不可欠です。
尋常ではない忘れっぽさに対しては、
思い出す回数が半端ではいけません。
1日に5回や10回どころの話ではなく、
100回、200回、
あるいはもっと頻繁にくりかえしたほうがよろしいでしょう。
分刻み、秒刻み、
文字どおり刹那刹那に思い出せということです。
「忘れるヒマがないくらい思い出している」ことの絶えざる連続、
これが正解です。
しまいには一日じゅう忘れずにいて、
あらゆる瞬間に自分であることを目指すんです。
どんなときでも心を積極的にすること、
ニコニコ顔でいること、
自分のことばかり考えないこと、
思考を止めること、
雑念妄念を払拭すること、
思いやりを出すこと、
執着を手放すこと、
すべてを感謝に振りかえること‥‥、
そんなことのすべてを一瞬で思い出すことを一日に何百回もくりかえすのです。
マントラやお題目や祈りの言葉というのは、
そのための道具として使われてきました。
短くてシンプルな言葉をひたすらくりかえすだけで意識が横道にそれるのを防ぎます。
「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でもよろしいし、
「アーメン」でもけっこう。
「ツイてる、ツイてる」だってかまいません。
クレイジーだと思われるかもしれませんが、
それがあなたの進む道、
さとりへ向かう気楽な旅です。
もういちどくりかえしますが、
あなたが苦しいのは口を開くたびにを吐いているからです。
とはすなわち、
否定する心のことです。
否定する心がとなって口からしたたり落ちています。
を吐いたとき、
それは自分が何かを否定しているときだと気づくことが不可欠です。
自分のことであれ他人のことであれ何であれ、
否定すれば苦しくなるのです。
反対に、
あるがままを認め、受け入れ、
褒め讃えていれば楽になるのです。
大切なことは思い出すことです。
何かにつけて消極に傾き、
あれこれ否定しがちな自分の悪癖を思い出すことです。
否定する心の背後にある価値観を手放し、
ほんとうの自分へ戻ろうとする心がけを何度でも思い出すことです。
反射的に口から飛び出そうとするを、
とっさの判断で食い止めるのは至難の業だと思われるでしょう。
しかし、
を作っているのは消極心ですから、
心を掃除してそのものを消してしまえば、
少なくとも自分からが発せられる心配はなくなります。
10回、100回、1000回‥‥、
日々刻々、刹那刹那に、思い出すこと。
あらゆる外からの刺激が、
思い出すためのきっかけです。
呼吸も、
ニコニコすることも、
瞑想も、クンバハカも、
すべては思い出すための道具です。
「忘れるヒマがないくらい思い出している」ことの絶えざる連続であること。
一日じゅう忘れずにいて、
どの瞬間にも自分であること。
あるがままの自分へ還る旅です。
あなたは、
弱い自分、小さい自分、傷ついた自分を、
認めることができないで苦しんでいます。
ただでさえしんどいのに、
に負けた自分を許すことができなくて二重に苦しむことになります。
自分の吐いたに心が飛びこんだまま、
べったり張りついて、
いつまでもとらわれているからです。
あるいは、
他の誰かが吐いた言葉をだと思いこんで、
心が巻きこまれ、引きずられ、
切り刻まれてしまうからです。
他人のなにげない日常の平凡な言葉や態度にも、
いちいち価値判断
──正しいとかまちがっているとか、
良いとか悪いとか、すばらしいとかくだらないとか、
好きとか嫌いとか──


持ちこんで、
その判断にこだわって執着してしまうために、
ただの言葉や態度がに変わっていくのです。
こちらが一方向にしがみつけば相手が反対方向にしがみつきます。
そして対立が生まれます。
──が作られるプロセスです。
執着は人を、
を精製する名人にしてしまいます。
だから大切なことは、
思い出すことです。
一方向にかたよりがちな自分の性質を思い出すことです。
顔がこわばっていることを思い出すことです。
自分はもうを吐きたくないんだということを思い出すことです。
心の中にが一滴もなくなるまで心を磨きましょう。
自分は愛そのものなんだということを思い出すことです。
思い出すたびにニコニコすることです。
感謝することです。
そしてまた何度でも思い出すことです。
朝晩の瞑想の時間に、
仕事の合間の休憩時間に、
歩くときに、
食べるときに、
赤信号で、
エレベータで、
お風呂で、
トイレで、
プラットフォームで、
レジで‥‥、
思い出して、思い出して、
また思い出すことのくりかえしです。
勝ち負けに執着しているぞ、
効率を上げることに執着しているぞ、
お金を儲けることに執着しているぞ、
なんかおかしいぞ、
しかめっツラになってるぞ、
不安にあおられて生きているぞ‥‥
と、
思い出すことです。
1日に50回も100回も思い出すことです。
いちど思い出したら次にまた思い出すまで、
思い出したまま生活するように努めることです。
真剣にそれを実践することです。
そうすれば、
だんだん忘れる暇がなくなってきます。
それはつまり、
ずーっと気づいているということです。
ずーっと感じとれているということです。
目覚めていることです。
意識的に呼吸することです。
クリアであることです。
全方向に対して注意が振り向けられていることです。
マインドフルであることです。
刺激に対して準備OKってことです。
それが「いま、ここ」にいるということです。
「いま、ここ」にいるとは、
執着の反対側にいることです。
けっきょく、
執着との距離を置くために、
はっきりした気持ちでいることが大切なのです。
気づいていることが肝心なのです。
平和に住まうことが必要なのです。
初歩の修行は、
執着の予兆に早く気づくためにあります。
何事があろうと心がそれに引きずられないこと──。
それは手段であり、
同時に目的でもあります。
生活が修行、
修行が生活なのです。
いちいち思い出さなくても、
魂が勝手に覚えていてくれるまで続く修行‥‥。
どんな代償を払っても、
それは挑むに値する道のりです。
荷物をまとめて、
旅に、
出ましょう。
どうしたら、瞑想を、
瞑想センターから、台所や事務所に持ち出すことができるのでしょうか。
  * * *
一日に一時間の瞑想をすれば、
その一時間が、ただの一時間でなく、
二十四時間のすべてになるべきです。
  * * *
一つの微笑、一つの呼吸が、
ただその瞬間だけでなく、
その日の全体に、良い影響を与えるべきです。
  * * *
坐ってする実践のときだけに、
みずからの認識や感情に対処するのではありません。
いつも、
対処しなければなりません。
  * * *
電話をかける合間に、
あなたは意識的な呼吸を行っていますか。
にんじんを刻みながら、
微笑していますか。
  * * *
日常の生活にどのように対応するかが、最も大切な問題です。
毎日毎日のごく平凡なことについての、
みずからの感情、
話し言葉にどのように対応するかが、
まさしく瞑想なのです。
ティク・ナット・ハン師の著書「ビーイング・ピース」から